みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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三ノ宮駅近くの大丸デパート、その丁度前に、「三宮神社」があります。「三宮神社」は、大きな事件があった場所です。神戸事件と言います。神戸事件(備前事件)は、慶応四年一月十一日、神戸三宮神社前で備前藩が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、そして、銃撃戦に発展、居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。同年一月三日、戊辰戦争が開戦され、明治新政府は備前藩に摂津西宮(西宮市)の警備を命じていた。前年の慶応三年十二月、兵庫開港(神戸港)に伴い、徳川幕府の大名行列と外国人の衝突を避けるための迂回路「徳川道」を通らず、西国街道を進んだことが事件の引き金の一つとなった。生田川の河原で撃ち合いとなり、備前側では、家老日置が撤退を命令、双方とも死者も負傷者もほとんど無かった。 急遽、明治新政府は東久世通禧を代表として交渉を開始した。結果、備前藩は諸外国側の要求を受け入れ、備前藩士の滝善三郎を切腹させて、一応の決着を見た。理不尽な植民地支配下に置かれる事態も起こり得たことから、滝の犠牲によって危機回避がなされたのである。もう何度も来ていますが、幕末の生々しい腹切り事件として有名です。

神戸で「ボストン美術館展」を鑑賞して来ました。神戸は生まれ故郷です。懐かしさで一杯です。


「神戸」という地名は、市内にある生田神社の集落が神戸「かんべ」であったことに由来するという。海と山との隙間に細長く市街地があり、それがため十分な水深がある理想的な港となっている。遣隋使の時代から港はあり、平清盛が貿易の拠点として整備した。明治維新、神戸村が事実上の開港場となり、外国人居留地などが造られ、1879年、正式に「神戸港」となる。後、上海・香港・シンガポールをしのぐ規模となり、世界にその名を知られるほどに繁栄していく。高度成長期には、ポートアイランドなどの人工島を整備し、「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)」を開催して成功させ、「世界で最も住みやすい都市」として、日本の都市で唯一トップ10に入っている。


●「天誅組-その道を巡る」、二十年来の親友あいこはんこと、舟久保藍さんの最新刊、本を手に天誅組を巡りたい!! 画像もたっぷり、とても読み易いです。
●「限りなくシンプルに、豊かに過ごす」、買えても、買わない。時には大声を出す。後でやろうとは思わない。一歩退く。他人を非難しない。笑顔で気持ちを整える!
●「大坂 民衆の近代史」、江戸時代、大坂の「褒賞」の記録を読み解くと、病に倒れた親支え続けた子ら、没落した主人を支え続けた奉公人など名もなき人たちのドラマが見えてくる。
●「手放すほど、豊かになる」、少しの物しかなくても、それらと強い縁で結ばれているのが幸せ!
●「日本軍兵士」、310万人もの犠牲者、、その九割は1944年以降と推定される。敗色濃厚の時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。
●「血管ストレッチ」、根を詰めて仕事をしている時こそ「フーーッ」と一息深呼吸!

今年もよろしくお願い申し上げます。元旦の倉敷美観地区です。タイミング良く、通りかかると二頭の素晴らしいワンちゃんがポーズを作ってくれて待っていました!今年は良い年になりそうです!!

●「東北を置き去りにした明治維新」、切れ味鋭い論集、明治150年、必読の論集です!
●「病気にならない人は何を食べているのか」、ひき肉はご法度、卵と納豆が認知症予防の最強の組み合わせ、40才過ぎたら空腹感が大切、コンビニは避けること。
●「中国の崩壊」、中国は国家戦略が皆無、日本に有利に動き始めている。今後、ベトナムやアジア諸国、インドと連帯し、新たな時代を日本が切り開いていく、海外に飛躍する環境は整った。
●「風邪薬は飲むな」、ワクチンはインフルエンザに効かない、抗癌剤もほとんど効きません、、と、この著者のベテラン医師が書いている。とても面白い。
●「名門校の人生を学ぶ授業」、名門校と呼ばれる学校の先生は異口同音に言う。「今すぐには価値がわからなくていい。それが将来、いつか芽目を出すかもしれないし、出さないかもしれない。そういう気持ちで教育している」と。
●「肺炎は口で止められた」、人間は口で生きている。「入れ歯」でよみがえったお年寄り、幸せは口が作る。

11月12日に京都国立博物館の「国宝展」を見学して来ました。その時、一番印象に残った物が「金印」です。教科書に載っていますね。福岡市博物館・所蔵のこの金印は、江戸時代の天明年間(1784年)に、甚兵衛という百姓が偶然発見した物です。漢の皇帝が委奴国王に与えた印で、「漢(かん)の委(わ)(倭)の奴(な)の国王」と刻まれています。実際は、土に埋もれていたのではなく、巨石の下の匣(はこ)の形をした中にあったと言われています。金印は限りなく金に近く、22.4Kで中国産の金と推定とのこと。質量108.7g、一辺2.3センチの大きさです。
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日本国内の博物館にはこの金印から型をおこしたレプリカが4点あり、手に取れるくらいの距離で観察すると違いが良く分かるそうです。字の彫り込みと、蛇の鱗を表した魚子(ななこ)とよばれる鏨(たがね)の鋭さが本物とレプリカでは比較にならない。本物のほうがシャープで、文字の彫り込みのミゾは、今しがた彫り上げたような艶(なま)めかしさがあります。中国の歴史書『後漢書』には、建武中元二(57)年に、光武帝が倭奴国王に「印綬」を与えたことが書かれており、この「印」が志賀島で見つかった金印と考えられるのです。金印は古代中国の歴史書に記されたもので単に日本だけの遺産ではありません。同時に発見者や発見場所に謎が多い分だけ、ロマンが香るのかもしれません。福岡市博物館HPより
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戊辰研マガジン【第2号】発刊しました。
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これからどんどん記事が増えていく予定です

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(みちこの幕末日記も次号から登場します)

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