Monthly Archives: 7月 2002
ここ4年間の私の講義集が間違って消去されまして申し訳ありません。
また一から、スタートします。京都の友だちがあの幾松に行きましたので報告メールが届きました。
http://r.gnavi.co.jp/k015000/************************************************************
実は ここ お昼でも7~8000円のお値段なんだそうです.
たまたま 今回の幹事さんが若奥さんとお知り合いで 特別料金の御料理
を作ってくれていました.と言う訳で 幾松さんが晩年過ごしたと言う御部屋も店主さんの説明付
きで見ることが出来ました.すぐ近くの 京都ホテルオークラ(旧京都ホテル)辺りが 長州藩の
藩邸で幾松では密会合がよくもたれたらしい.近藤はんが乗り込んできたとき 幾松はんの機転と度胸で桂小五郎
はんを隠し通したというおおきな長持ちや 小五郎はんの自筆の掛け
軸ほか3点 坂本龍馬はん 桂小五郎はん 佐久間象山先生のお写真と
後に幾松はんの写真を元に書かれた肖像が 飾られていました.なにより 初めてつり天井を見ました.
和紙を張られた天井の殆どを埋めるような大きな板 その板の周りを
杭で打ちとめて 天井裏には重石2つ ある綱をひくと一気に杭が抜けて
天井が落ちてくるしかけ.裏手は鴨川 当時はよしの葉で埋め尽くされ 廊下の下に隠した階段
で河原に逃げ込めるようになっていました.池田屋や寺田屋は 正面と裏手とで挟み撃ちにされると逃げ場がない。
その点では 背の高いよしの葉の中でしゃがみこんだら見つけようが
ないうえに 藩邸が近過ぎて襲撃の対象からは外されやすかった
みたいですそれにしても 長き歴史に堪えぬいた建物を守っていくのも大変だろう
なぁ…って実感でした。************************************************************