みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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とうとう、今年二度目の風邪を引いてしまいました。
インフルエンザが流行っていますので、くれぐれも
ご注意下さい。

さて、札幌雪祭り、今年は五稜郭築城140周年でもあり、
その五稜郭と土方歳三の雪像が造られていると耳にしました。
北海道の友達に行ったら写真を写して来てと頼みましたが、、
どんな土方像が造られているのでしょうか。
一見の価値ありでしょうね。

では、今書店に並んでいる「歴史街道」2月号 
近藤勇と新撰組、続きです。

「選」と「撰」どちらが正しい?  山村 竜也

 隊名を与えた会津藩側では「新撰組」(新撰組という名称は会津藩に
 かつて存在した武闘集団)という意識があったとしても、与えられた
 近藤側にはそれほどのこだわりがなかったということ。当時は現在
 と違って、漢字の表記についてはとてもおおらかで、音さえ合って
 いればどうでもいいというようなところがあった。現代の我々に
 とっては「選」か「撰」かは重要な問題であっても、当の彼らにして
 みれば、取るに足らないことであったのかもしれない。

隊服は黒ずくめだった?     山村 竜也

 デザインが派手で、素材も夏向きの麻であったため、見た目にも安っぽく
 製作当時こそ使われていたが、次第に誰も着なくなったという。最後に
 目撃されたのは、池田屋事変の時であったから、その後、間もなく廃止
 されたと考えられる。使用期間は2年も満たない短期間であった。それ以後
 はの制服はというと、肥前藩士の記録によると慶応三年のある日、京都
 市中での記述に「黒衣黒袴、問わずしてその新撰組たるを知る」という
 箇所がある。断定することはできないが、ありえる話ではある。

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