みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

月別アーカイブ

Monthly Archives: 2月 2005

今日はわりと暖かくて風もなく、春近しを感じさせる日でしたね。

さて、「官軍が火を人吉に放つ図」、これは昨年、私が行きました
四国琴平の金毘羅宮特別公開で展示された高橋由一という画家が描いた絵です。
この絵はあったのに、残念ながら見逃してしまって、後で大変後悔しました。

内容は、開国で揺れる日本のなんでもない風景画、画面半分は自然のきれいな
風景が描かれ、半分は火事現場のような赤い火と黒煙と、その中でうごめく
動乱の人々が描かれています。

http://www.woodone-museum.jp/exhibition/2%28past%29/02/1-1%28takahashi%29.html

高橋由一といえば、中学校の美術の教科書に出てきて、ご存知だと思います。
代表作
「鮭 (http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4126)」(1877年頃)(東京藝術大学、重要文化財)
「花魁 (http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4124)」(1872年)(東京藝術大学、重要文化財)

なんと生まれは1828年、坂本龍馬より年上だったんです。明治維新の頃は
すでに40歳、知りませんでした、てっきりもっと若いのだろうと思っていました。

なんでもない油絵を描いていたと思った高橋由一が、幕末の動乱も描いて
いた、、、私としては、とても衝撃的なことでした。

では、また、お元気でお過ごし下さい。

龍馬の妻、お龍、龍馬亡き後、西郷さんの紹介で、仲居をしていた神奈川県 
田中家(料亭)に友だちが行きました。詳しく聞いてきてとお願いしたら、
レポートを送ってくれました。
田中家(料亭)のHPは以下です。
http://www.tanakaya1863.co.jp/groop.htm

**********************************************************************

田中家は江戸時代からつづく神奈川宿の旅館で
明治6年から8年まで仲居として坂本竜馬の妻「おりようさん」が勤めたそうです。
添付の写真は社員旅行で行ったときにとった写真で
見にくいですが、正面の背の高い女性が「おりょうさん」との説明でした。
なお勤めるきっかけは田中家が長州藩士の常宿で、西郷隆盛の紹介でとのことだ
そうですが、維新の大立者が出てくるので本当でしょうか?
田中家は確かに安藤広重の絵には載っています。

田中家でのおりょう伝説
明治八年頃、母と弟に死別して全く孤独な身となってしまった坂本竜馬の妻で
あったおりょうは神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として
働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。
当時彼女は三十七歳位であった。

この料亭に遊びに来る客で西村松兵衛という男がいたが、彼は横須賀造船所
建設用の資材の回漕業をしていて、度々来るうちにおりょうさんと意気投合し、
彼の住んでいる横須賀の地で世帯を持つことになった。入籍は明治八年七月で、
この時おりょうさんは西村ツルと名前を変えている。
出典「おりょうさん」追想より(一部改変)/大津観光協会発行

※当時を知る仲居が調査員に語った内容
「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、
当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だったようだ。勉強家で
英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。
おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまった
お客様を帰すのにも活躍していたであろうのは想像に難くない。
田中家を去った後も彼女を知る常連客より「今日はおりょうはどうした?
」という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が
「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという話が残っている。

*******************************************************************

上記のお龍さんの入っている集合写真、送信してもらっています。
見たいとお思いの方はお送りします。
私までお知らせ下さい。お待ちしています。