みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 3月 2005

いよいよ春らしい気候になってきました、みなさん、お元気ですか。

さて、友だちから大阪の散策記が届きました。特に堂島・適塾、
私もちょくちょく行きますが、適塾は江戸時代のものが現存している
極めて貴重な建物です。写真もたくさんありますので、読んでくださいね。

司馬遼太郎記念館では、企画展「挿絵でみる司馬作品」を開催してますが、
季節がら、司馬さんの好きだった菜の花が記念館のあちらこちらで
飾ってありました。
司馬さん書斎のまわりも菜の花で賑っています。
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企画展「挿絵でみる司馬作品」ですが、「峠」も2枚の挿絵がありました。
1枚は、西国遊学で京都での公家女性との色艶のところでした。
もう1枚は、継之助と松蔵?が山道をあるいているところでした。
こちらは、「峠」どの場面かは??です。
館内は写真禁止ですので、残念です。
せっかくですので、「1999年 司馬遼太郎が愛した世界展 目録」にも
載っている挿絵を載せておきます。
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こちらは、横浜の場面と最後の場面でしょうか?のこりはよくわからないですね。

司馬記念館をあとにして、適塾へいきました。
ここで、yamazakiさんが長岡藩大坂蔵屋敷の場所を偶然見つけました。
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の奥の地図は、緒方洪庵が塾を開いていたころの地図です。この地図に
長岡藩大坂蔵屋敷が載っています。
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赤○が長岡藩蔵屋敷、青○は福沢諭吉が生まれた中津藩蔵屋敷です。

福沢諭吉は、適塾の塾頭をしています。歴代塾頭の一部です。
大村益次郎の名もでています。
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適塾内には、福沢諭吉の書もあります。
この書は、適塾の由来を福沢諭吉が書いたものです。
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適塾は、河井継之助の友人、小山良運も入門していました。
門人名簿には、小山良長という人がいますが、これが小山良運ではないかと
思われます。赤○
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福沢諭吉生誕の地へいきました。福沢諭吉が大坂の地で生まれたことは
大阪人でも知っている人は少ないのではないでしょうか?
福沢諭吉が商人の町「大坂」で生まれことは、彼のその後の思想におお
きな影響を与えたように思います。
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福沢諭吉生誕の地から徒歩5分ぐらいで長岡藩大坂蔵屋敷跡に行くことが
できます。
今は、検察庁となっています。岩村高俊の子孫が法務大臣になっていますが、
なにか因縁めいたものを感じます。
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