Monthly Archives: 4月 2005
関西に30年間住んでいたので、特に今回の尼崎の事故は心が痛みます。
JRは阪急に対抗するため、あまりにも速度をあげて対応して
いたようですね。密集地をかなりの速度で走り抜けて、安全という
ものを置き忘れていたのでしょう。インタビューで答えていた
女子大学生の言葉が心に残ります。
「お願いですから、こんな事故はもう二度と起こさないで下さい」
泣きながら、友の死を悼んでいました。
亡くなった方々のご冥福を心から祈ります!さて、私、GW に薩摩に行くことになり、鹿児島の史跡めぐりのお話を
期待していて下さい。行きます、田原坂! レンタカー借りて知覧まで行く予定です。
さて、「長岡藩軍事総督河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ」
ベスト新書 (73) 星 亮一 (著) 価格: ¥819 (税込)を読み終えました。
前半はさらっと復習のような形で継之助の人となりをおさらいし、最後の
盛り上げ方が上手く、感動的に読み終えました。中で心に残った箇所は、二箇所ほど、
方谷は継之助が自費で来た事に感心し、「昨今の官使は公金を
使うことばかり考えている。それが国を滅ぼす」、、、誠に、今の日本の姿、そっくり。
小千谷談判での土佐の岩村精一郎、わずか23歳、河井の人物経歴は
今になってようやく知ったところで、当時は知る由もなかった。
後に門衛に聞くと、河井はなおも幾度となく、本陣の門に来て、再度の
面会を請い、深夜までその附近を徘徊して、しきりに取り次ぎを求めた。あーーっ、この箇所、悔やまれる部分ですね。
継之助の気風は長岡人に強く受け継がれ、山本五十六ら多くの俊英を
輩出した。「時として人間は命をかけねばならない」という
大きな命題を継之助は今の世に残した。政治家に是非、心に刻んで欲しい言葉です。
では、また。
いよいよ桜も満開、この土日にはみなさんどこかに見に行かれる
のでしょうか。友だちが教えてくれたメルマガ、面白そうです。
歴史の「そうだったんだ」【幕末・維新編】
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000141288
http://www.mag2.com/m/0000141288.htmlさて、北海道文化放送製作の「新選組 永倉新八からの伝言」、という
単発のドキュメントの録画を友だちが送ってくれました。この番組は、永倉新八のひ孫、番組ディレクターの杉村さんが
作られた番組で、当初は北海道文化放送のみの放送だったそうですが
好評につきあちこちで放送されているそうです。ひ孫ということで
いろんなイベントに呼ばれて参加しているうちに、「永倉が、袂を別
った近藤の墓建立に奔走したのはなぜか?」という疑問を持って、
今回、この番組を制作されたとのことです。ひ孫さんは現在37歳、新八があの「浪士文久報国記事」を書き、
板橋に近藤勇と土方歳三の慰霊碑を建てたのも37歳、同じ年齢になって
彼は考えたそうです、新八は何を思って建立に奔走したのか、新八に
とって新選組とは何だったのかということを・・。新八の足跡を追いかけていく構成で番組は進みます。
ゲストとして浅田次郎、黒鉄ヒロシ、立川談志など、新選組の研究家や
愛好者に話を聞きながら新八の実像を迫ろうとしていきます。
「浪士文久報国記事」を横浜の素封家の倉から見つけ出してくれた
多田敏捷氏、ご自宅を訪問して、その「浪士文久報国記事」を前にして
インタビューされていて興味深かったです。そして、新八の着た紋付羽織を
お持ちの方がおいでで(新八が写真で着ている)、その羽織をひ孫さんが
羽織られて、目の辺りが新八にそっくりだわと思いました。死と向かい
合っていた新選組時代の新八が、まさかひ孫が自分の羽織を着てくれる
だろうなんて、考えも及ばなかったでしょうね。幕末の主な登場人物は
永倉のように直系のひ孫など存在するのは稀で、永倉がいてこそ、新選組の
詳細が分かるようになったり、貴重な存在ですよね。板橋駅前の慰霊碑(近藤勇の遺族が刑場から遺体を掘り返して来て埋めた場所)の、
明治30年頃の古写真を本などでは見ましたが、この番組で見るととても辺鄙な
場所で広い野原の中にポツンとあるんですね。当時まだ賊軍として白眼視されて
いた人々の碑を建てるのは、すごいエネルギーです。当時のお金で二千万かか
ったそうです。常にたくさんの新選組ファンが墓参に訪れて賑わっています。
新八は晩年小樽に落ち着くまで、東京に住んだ事もあり、近藤の月命日には
必ずここを訪れていたそうです。そして自分の死に際しては、慰霊碑の隣に
分骨して葬るよう遺言したとの事。 明治十年になって、京都に行き、近藤の
首を探し回った新八、永倉が改名した杉村「義衛」という名前の意味は「義を
衛る(まもる)」で、それは司衛館の「衛」。新八にとって試衛館で仲間たちと過ごした若き日は、人生最良の時だったの
ですね。1時間で上手くまとめられて良い番組でした。