九州旅日記、その2です。
鹿児島市内に黎明館(れいめいかん)という明治百念を記念して
昭和58年に開館した歴史資料センターがあります。ここで西郷さんの軍服を見ることができます。なるほど、とても
大きくて生前の西郷さんを彷彿とさせてくれます。もう一つ、
印象に残っているのが、大久保利通・愛用の洗面セットとでも言い
ましょうか、ヘアーブラシ・コップ・洗面桶・・、色はなんと鮮やかで
冷ややかなセルリアン・ブルー、ブラシに残っていた頭髪から
大久保の血液型は O 型。色合いから大久保の冷徹さが頭を過ぎりましたが
血液型を知り、なぜかホッとした私でした。さて、その西郷と大久保、維新後の彼らの様子を知る逸話があります。
政府高官に収まると贅沢三昧が高じた大久保、イギリスに高価な軍刀を
発注します。それを聞きつけ、西郷はその軍刀を借り、なかなか返さずに
いました。大久保が催促すると、「あの軍刀なら、書生が欲しがるのでやった」
と西郷。維新後、政府高官らは驚くほどの高給を取り、壮大な邸宅に住み、
蓄財した。だが、西郷だけは、給料は人民の血税、私財を蓄えるのはもって
のほかと質素な生活を送っていた。西郷は大久保に対して不信感がつの
っていったという。また、西洋諸国の良い点も悪い点も、全てひっくるめて模倣しようとす
る新政府の欧化政策に対して、西郷は大きな懸念を持っていた。
政治家としての素質は十分にありながらも、西郷が最終的に政治家
として道を歩むには、その心中が清廉過ぎたのかも知れません。西郷さんの話はまだまだ続きます。
さて、今日は、桐野利秋の話を追加です。
亡くなった時、桐野の遺体にはフランス香水が漂っていたそう。
しゃれた人だったのねと思っていました。田原坂での敗戦の後、一路鹿児島へと向かった。二週間以上にも渡って山中を
さ迷よったことから衣服は無残なまでに破け、ボロボロになっていた。
そのため、鹿児島に突入した薩軍は、政府軍が残していった衣料品などの
数多くの物資を手に入れ、桐野もまた自分に合う服を見つけていた。その
洋服には、なんと桐野にぴったりの大きなシルクハットもついていた。
桐野は常にそのシルクハットを被って、兵士達を叱咤激励。その桐野の
勇躍した姿は、非常に雄々しいものであったと伝えられています。死後、そのシルクハットは政府軍の持ち主に戻されたという。
桐野は持ち主に丁寧な礼状を認めていて、持ち主はその手紙を深く愛蔵していたと
伝えられています。というわけで、そのフランス香水はその政府軍高官の
品だったというオチでした。次週、5月25日の「その時、歴史が・・」は西南戦争がらみのお話。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html旅日記、つづく
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