みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 10月 2005

こんばんは、みちこです。

もう今年も後二ヶ月ほど、今年は京都には何度も行きましたが、
史跡めぐりができませんでした。でも、GWに鹿児島に行けたので、
良しとしましようかね。来年は長崎の予定です。楽しみです。

さて、今、ヤフーを見ましたら、

将軍コーヒー、お味はいかが?=徳川慶喜のひ孫が再現-千葉

 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が飲んだとされるコーヒーを再現した
「将軍珈琲」を味わう会が30日、千葉県松戸市で開かれた。慶喜の弟で最後の水
戸藩主、昭武が余生を過ごした「戸定(とじょう)邸」が会場となり、参加者ら
は明治期のレトロな服装に身を包んだウエートレスに給仕され、歴史のロマンに
思いをはせた。
 慶喜は1867年、将軍就任のお披露目などのために欧米4カ国の公使を
大坂城に招いた際、フランス料理のフルコースでもてなし、食後にコーヒーを振
る舞ったとされる。同市戸定歴史館の斉藤洋一学芸員(47)によると、日本で初
めて政府の公式行事で飲まれたコーヒーだという。
 将軍珈琲は、慶喜のひ孫に当たる写真家徳川慶朝さん(55)が2002年、
茨城県のコーヒー会社と協力して再現。当時の記録などを参考に、インドネシア
産のアラビカ種の豆を炭火でばいせんした。「濃いけれども苦くない」のが特徴
という。 
(時事通信) – 10月30日18時0分更新

今朝の日経では、作家の山村竜也さんが紹介されていました。
東京都の職員をしておられるそうですね。NHKの「新選組!」の時代考証もされて
おられ、著書も20冊、「新選組!」の最初の方の場面で、近藤・土方・龍馬・小
五郎が四人連れ立って黒船を見に行く場面がありましたが、脚本家の意図をくん
で、ギリギリOKを出したとか、私だったらOKは出さないな、私はあの場面で
ズッコケタもの。

以上、幕末*深夜のつぶやき、、でした。

では、おやすみなさい!

みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。
この週末は京都では時代祭です。昔、行った事が
あるのですが、最近、なかなか行けません。
幕末関係が主力なんですねぇ。

関西の方、是非、見に行ってください。

http://craft.kyoto-np.co.jp/craftichiba/machiya/ikedaya.html

行列の主役たち
 明治維新から始まって時代を逆戻りして平安遷都までの歴史絵巻き再現した。
歴史の教科書に出てくるさまざまな人物が次から次へと登場する。
(1)維新勤王隊列

 維新の際、京都府北桑田郡山国の有志が山国隊を組織して、官軍に
参加した当時の行装を模した。鼓笛隊が先頭を行く。

(2)幕末志士列

 明治維新の立て役者となった志士計14人が「七卿落」列をはさんで
次々と登場する。

・桂小五郎(かつらこごろう)1833-1877 萩藩士。のちの木戸孝允。
西郷隆盛、大久保利通と共に維新三傑と称される。

・西郷吉之助(さいごうきちのすけ)1827-1877 薩摩藩士。
藩主・島津齊彬に抜擢されてNo1に。第一次長州征伐では幕府軍の主力となるが、
坂本龍馬の説得で薩長同盟を結んだ。西南の役で自刃死。

・坂本龍馬(さかもとりょうま)1835-1867 土佐藩士。
日本初の商社・亀山社中の創設者、薩長同盟の立て役者など維新最大のヒーロー。
慶応3年京都で暗殺された。享年33歳。

・中岡慎太郎(なかおかしんたろう)1838-1867 土佐藩士。
龍馬と並んで維新に奔走したが、京都で共に暗殺された。享年30歳。

・高杉晋作(たかすぎしんさく)1839-1867 長州藩士。
農民、町民の軍隊・奇兵隊を創設するなどしたが、「維新の夜明け」を見ること
なく病死した。

・梅田 雲浜(うめだうんぴん)1815-1859 志士。元・若狭小浜藩士。
藩政を批判し、武士の身分をはく奪される。尊王攘夷を唱え、ロシア艦襲撃を企
てた。安政の大獄で江戸の獄舎で病死。

・橋本 左内(はしもとさない)1834-1859 越前福井藩の志士。
緒方洪庵らに蘭学・医学を学び、藩主松平春岳に認められて藩政革新に当る。安
政の獄に座し斬罪。

・吉田 松陰(よしだしょういん)1830-1859 長州藩士。兵学に通じ、
江戸に出て佐久間象山に洋学を学んだ。常に海外事情に関心を持ち、1854年(安
政元年)米艦隊渡来の際に下田で密航を企てて投獄された。のち萩の松下村塾
(しょうかそんじゅく)で高杉晋作、桂小五郎ら多くの維新の志士を教育した。
安政の大獄に座し、江戸で刑死。

▽七卿落(しちきょうおち)

 1863年(文久3年)8月、討幕計画にやぶれた三條実美ら尊攘派の
公家7名が長州へ落ちのびた事件。ミノをかぶった7人の公家を、よろい姿の久
坂玄瑞ら3人の武士が護衛している。

・真木 和泉(まきいずみ)1813-1864 志士。

・久坂 玄瑞(くさかげんずい)1840-1864 長州藩士。吉田松陰の妹婿。
兵学を松陰に、洋学を藩校に学ぶ。尊王攘夷を唱え、1864年(元治元年)兵を率
いて京都に入り蛤御門(はまぐりごもん)の変で会津・薩摩等の兵と戦い負傷、
自殺。

・三條 実美(さんじょうさねとみ)1837-1891 公卿。明治維新の功臣。
実万(さねつむ)の子。尊王攘夷運動の先頭に立ち、維新後太政大臣。内閣制発
足後は内大臣。