みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 2月 2006

司馬遼太郎、没後10年で、いろいろと新刊も出ています。
今日は、その一冊で少し前のものですが・・。

「司馬遼太郎という人」 和田宏 文春新書 720円+税

「竜馬がゆく」の登場人物は、1149人にのぼるという。

「おりょうが竜馬のために菊の枕を作ったなんて、ぼくの作り話だぞ」
この場面はおりょうの性格を浮き立たせてみごとである。しかし、
これは創作で事実ではない。こういう仕掛けはこの作家に山ほどある。
大衆演劇の某作家が、なんとこの菊の枕の話を使ったという。それを
司馬さんが怒った。自分の創作を断り無く使われて腹を立てたのではなく、
こういうことを無神経に繰り返していると、いつの間にか
それが史実として扱われるようになるのを恐れたのだ。
司馬さん自身、史料調べをしていて、そのような『史実」にしょっちゅう
出くわし、当惑していた。独自の歴史観の方は、盗用されても
怒ったのは見たことがない。「また、ぼくの話を使っているよ」と
苦笑する場面もたびたびあった。司馬さんの創作を史実と
間違えた人が大勢いるに違いない。「竜馬がゆく」は、
あくまで司馬遼太郎の「坂本竜馬」であって、伝記ではない。

「竜馬がゆく」の連載を開始して、ちょうど一年経った時、
突如「閑話休題」と称して、時代背景の解説を入れる。このとき、
作家の中で何かが弾けた。いままでとは異質の大作家司馬遼太郎
の誕生の瞬間であった。

以上、特に印象に残った箇所でした。中身の濃いい一冊です。
是非、お読み下さい。

風がきつくて、寒さがぶり返してきたようですね。
風邪に気をつけて下さい。

さて、出先からの帰り、いつものように大型書店に行くと
「関西 大人のウォーカー」3月号 580円 
司馬遼太郎の世界を歩く  が出ていました。

司馬遼太郎が亡くなって10年経つのですね。
その特別企画本、580円だったらお求め安いので是非一冊!

中学生の時、図書館で一度にドサッと借り出して
声に出して読んでいたそう。家には持ち帰らず徹底的に
記憶するような読書で、閉館時間が過ぎてもなかなか帰ら
ないので困ったと当時の出納係の思い出話が載っています。
人が珈琲一杯飲む間に文庫本を一冊読み終えてしまうと
いうのも本当の話です。

写真で育った場所と、それを下地にして著作した本の紹介とか
載っていて、西長堀のマンモスアパート、ここで竜馬が書か
れたのですね。
なんと司馬さんの前の住人は森光子、、文化勲章受章者が
同じ部屋の2LDKから出たとは、なんともおそるべしアパート、
この10階の高い場所からの俯瞰が、司馬流・歴史小説を
昇華させてくれたのですね。

「竜馬がゆく」の月額原稿料は100万円、なんども貰いすぎ
だと断られたそうです。この破格の原稿料は、産経新聞の
記者だった司馬を『我が社から生まれた直木賞受賞者の
気鋭の才能に投資を惜しんではならじ」という当時の社長の
思いがあったとのこと。ほとんど資料代で消えたようですが・・。

そして、東大阪の司馬遼太郎記念館、その書斎には未完に
終わった「街道を行く 濃尾参州記」のための資料690冊が
今も残してある。
館内のあれこれを手伝うボランティア約230人が地元の住人、
「ここにいると全国の人と会える。先生は凄い人ですね」。

蔵書は手にとることはできない、見て終わるだけなら10分
ぐらいで終わってしまいます、が、ここで5時間いる人も
あるという。
「ここは見せるのではなく感じる記念館です。来られた方が
司馬遼太郎の世界に身を置きつつ自由に考えて頂くのです」
この4年間で17万5000人、観光地でないこの地に全国から
わざわざ訪れるという。近隣の街角では菜の花忌に合わせて
あちこちに菜の花のプランターをあしらう動きが広まっている。

私も、司馬遼太郎記念館とよく散歩をされたコースを歩きました。
どんな博物館よりも強烈に心に焼きついています。図書館の本
ではない、司馬さんが手にとって読んだという2万冊の本の
威圧感は、何より力強いですね。行くと勇気を与えてくれる
場所です。

では、また。

久しぶりに「万年筆の旅 作家のノート II」吉村昭・著 を読んでいます。
吉村昭は徹底的に事実を掘り起こして、事実しか書かないので好きです。
事実を淡々と緻密に書いて積み上げて、私たちの胸に重量感ある感動を
与えてくれます。

「万年筆・・・」その中で、終戦後三・四年経った時にラジオで聞いた話が
書かれています。彰義隊の戦の小戦闘を目撃した老人の話、
老人はその頃商家の小僧で、上野の山から広小路に下ったあたりで、
討幕軍と彰義隊が両方から走ってくるのに気づき、大きな水桶の
影に身をひそめた。両軍とも三十名ほどで、抜刀して向かい合ったが、
互いに十間(約18メートル)以上も離れたまま「やあ、やあ」と
声を掛け合っているだけだったという。

「活動写真にあるような威勢の良い斬り合いとは、まるっきり
ちがいましてね」と言った老人の言葉もはっきり覚えている。
やがて両方が接近し、彰義隊側にけが人が出ると、その血に
興奮したらしく彰義隊が狂ったように斬り込み討幕軍を
追い散らしたという。この水桶の陰で身を震わせていたという
老人の思い出話には、実感として強く感じた。

読んでいる私にも、こういう体験者の生々しい話は、小説や学術史
とは違い、自分自身が体験したような感情移入ができました。

さて、今晩の「その時、歴史が・・」日本に新聞が生まれた日
   ~幕末維新・ジョセフ彦の挑戦~、
吉村昭も「アメリカ彦蔵」でジョセフ彦を書いています。
この本も良かったですね。

では、また。