みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 5月 2006

「開運、お宝鑑定団」を見ています。

梁川星巌(やながわせいがん)、出てきました。頼山陽亡き後の幕末の大詩人、
思想家尊王攘夷論をいち早く出し、吉田松陰・西郷隆盛に訓示を述べ、
安政の大獄前、コレラにして死す。詩人でもあったので、京都の民は死に
(詩)上手と噂しあった。簡潔にうまく説明していました。この番組は幕末物が
よく出てくるので必見です。その星巌の書画掛け軸三点、170万でした。

以下、龍馬の金策日記―維新の資金をいかにつくったか
 竹下倫一  祥伝社新書   760+税
                     印象に残った箇所です。

龍馬の手紙、ある人が最近になって高知で発見、それも日曜市で購入とのこと。
私もよくフリーマーケットなどに行きますが、古手紙の束なんて結構
売っているんです。それも毛筆の達筆なものが、、読めないので
お手上げですが、龍馬の手紙が日曜市で売られていたなんて、
売った側も分からなかったのでしょう。

龍馬の生涯は、その輝かしい業績と同時に、数多くのトラブルや困難続きだった。
普通の人が、一生に一度遭遇するかどうか、というような事故や事件に、たった
三、四年のうちに何度も何度も巻き込まれている。普通の人なら、一年や
二年ふさぎ込んでもおかしくないトラブルの連続。その災難の間に、大きな事件を
やってのけているのだ。龍馬が、もっとも優れていた面は、「決して諦めないこと」
だったのではないだろうか。

龍馬には、幕府が倒れた時、どういう世の中にしたいのか、という具体的な
イメージがあった。西郷・大久保・木戸・高杉などは、幕府を倒すことばかり
目が行き、龍馬ほど具体的なイメージはもっていなかった。彼らと龍馬が
明らかに違う面を考えた時、ある一つの事実が浮かび上がる。明治の元勲たちの
ほとんどは長男だったことに対して、龍馬だけは次男だったのである。

江戸時代の男にとって長男に生まれるか否かでは、決定的な違いがあった。
長男はよほどのことがない限り、親と同じ程度の行き場所は与えられた。
しかし、次男以下はよほどのことがない限り世に出て行くことは難しい。
龍馬が他の志士たちと比べて著しく経済観念が発達していたのも、龍馬が
次男だったことが一つの要因ではないか。次男は身を立てるすべてを自分で
身に着けなくてはならない。その気概があったらこそ、浪人の身でありながら、
商社や艦隊までも作る事ができたのではないだろうか。

著者は、龍馬の金銭的な部分のみを追究しているにもかかわらず相当苦労した。
その当時の感覚を掴む難しさ、資料を集めて整理するにも大変な手間がかかる。
今よりも、もっと情報が整理されていない昭和三十年代、龍馬の人生、幕末の
時代背景を掴み取って超一流の時代小説の傑作「竜馬がゆく」を執筆された
司馬遼太郎の偉大さを再認識した。

では、また。