みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 7月 2006

さて、「ハリス日記」の最終回、「日本は狭少なので、三港
以上はひらかないことに決めたぁ~」という駄々っ子のような
幕府を口説き落とし、日本側が気を緩めた隙に江戸などの開市を
要求、、、帰国後は公職を退き、ニューヨークの質素な下宿で、
謙虚な生活を送ったとあります。
実直な人物だったのですね。
いよいよ、ハリスさんに好意を持ちました。

当時の日本は時がゆっくり流れていて、「イエスかノーか」という
きっちりとした答えを求める欧米人には理解されなかったのです。
しっかりとした日程を組んで行動するハリスさんにとって、交渉場所
に行っても、幕府役人は雑談ばかりして前になかなか進まない、
益々、ハリスさんは苦虫を噛み潰した顔になってしまったのでしょう。

日本経済新聞・日曜版の「日記をのぞく」コーナーに、
タウンゼント・ハリスの「日本滞在記」が連載されています。

米国人・ハリスが、長い船旅を経て日本に着いたのは、今から150年前だった。
貿易を通じて日本を国際舞台にデビューさせた功労者。
だが、先に来日したペリーほど有名ではない。

エリート軍人のペリーと違って、ニューヨークの貧しい家に生まれ、中学
を出ただけで働きながら学んだ。貿易商になり、各国を巡り歩き、商売
が傾き、大統領に陳情して、この大役を任された。

ペリーとは日米和親条約を、このハリスとは通商条約を結ぶことになる。

74歳の生涯を独身で通し、読書家で教養人、きまじめで優しかった。
この「日本滞在記」には随所に鋭い観察眼が光り、案外ユーモラスだ。
日本上陸を目前にした日記には、自らを日本における「文明国からの
最初の公認された代理人となるであろう」と高々と宣言している。

ところが、ハリスに次々と難題がふりかかる。

続きが楽しそうです、お楽しみに、お待ち下さい。