みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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さて、昨年12月2日(日)の、江藤新平研究の第一人者である
毛利敏彦先生の勉強会のご報告です。

大阪経済法科大学の教授でもある毛利先生、持参頂けたのは、
「近代日本化の秘密」という冊子でした。
副題に江藤新平の歴史的決断とあります。

明治4年7月14日、文部省(当時は文部太府)発足。
明治新政府は国学者が目立ったため、内部では主導権をめぐり対決していた。
江藤は文部省のトップへと名乗り出て、国学・漢学・洋学という
国別に分けるのではなく、学問の内容(数学・物理、、等々)で
分けると提唱。「西洋の丸写しにて施行」する態勢を打ち立てた。

このようにして江藤は、近代日本学校教育体制の基本ルールを敷いた。
文部省の使命として、国家は国民の教育に責任を負うという国家主導近代
日本教育を提唱。当時の激しい事態に適切であった。
それは、江藤が佐賀藩出身であったから、、
大砲を作るなど西洋に負けじと、佐賀藩は当時の日本では先端を切っていた。
馬関戦争の時、長州が使った鉄大砲は、佐賀藩の物ではないか?
幕府は江戸のお台場に佐賀藩から大砲50台をだしてもらっていた。
そのため、幕府は佐賀藩に頭が上がらなかった。

鍋島閑叟の葬儀の時、葬儀委員長は誰だったのか明記されていないが
江藤であったと思われる。

江藤は女性解放し洋服を着用、、、など、走り書きを残している。
それらの江藤家資料としてはマイクロフィルムに入れられ佐賀県立
図書館にあります。

内容がちょっとちぐはぐになりましたが、雑談を交えて江藤の逸話を
聞くことができました。また、先生のお話が聞けたらと思います。
近々、新刊もお出しになるようです。

 

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