みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 7月 2008

雪深い会津と太陽の国・薩摩。
蛤御門の変では同じ立場に立ちながら、三年後の戊辰戦争では何故、薩摩は会津を攻めたのか。

薩摩と長州は、海による結びつきがあった。
海と共に、結びつける坂本龍馬という人もいた。
実直そのものの教えが日常にあった会津だからこそ、坂本龍馬のような人物は入り込めなかったのだろう。

それが不幸ともいえる。会津は孤立していた、そう思う。

幕末の主要人物は、自分の写真を多く残している。
その中で、唯一、写真が残っていないのは、暗殺を恐れた西郷だけだ。
この事実ひとつ取っても、西郷のしたたかさがよく分かる。

駆け引きが日常茶飯事のようにあった薩摩、長州のように多くの逸材を散らすことなく、輝ける明治維新を掴み取る。

 その影で、追いやられていく会津の哀愁を、強気の長州の背後にいて薩摩は気掛かりだったと思う。

その薩摩の思いが本書を通じて伝わってくる、そして、その流れを、主要人物の紹介も交えて、的確に解き明かしてくれている。
西南の役で西郷を攻めることになる、歴史の輪廻。
顔の見えない西郷は、得体の知れない怪物にも思えて、会津の誠実さが胸に迫った。

装丁からして物語っているようで、ドラマティックだ。
思わず松平容保を連想してしまうような上品ではかなげな紫、帯の赤は、さながら西郷の情熱か。

あとがきには、「歴史とは、相手を知ることでもある」とある。
その歴史を本書で学べた。781円+税

星亮一・著 「会津藩VS薩摩藩」 (ベスト新書 ) 781円+税

龍馬の妻、お龍、龍馬亡き後、

西郷さんの紹介で、仲居をしていたという

神奈川県の 田中家(料亭)に友だちが

行きました。

田中家(料亭)のHPです。
http://www.tanakaya1863.co.jp/groop.htm

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田中家は江戸時代からつづく神奈川宿の旅館で
明治6年から8年まで仲居として勤めていたそうです。

添付の写真は社員旅行で行ったときに撮った写真で
見にくいですが、正面の背の高い女性が「おりょうさん」との説明でした。

なお勤めるきっかけは田中家が長州藩士の常宿で、西郷隆盛の紹介でとのことだそうです。

田中家でのお龍(りょう)伝説
明治八年頃、母と弟に死別して全く孤独な身となってしまった坂本龍馬の妻で
あったお龍は神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として
働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。
当時彼女は三十七歳位であった。

この料亭に遊びに来る客で西村松兵衛という男がいたが、彼は横須賀造船所
建設用の資材の回漕業をしていて、度々来るうちにお龍さんと意気投合し、
彼の住んでいる横須賀の地で世帯を持つことになった。入籍は明治八年七月で、
この時お龍さんは西村ツルと名前を変えている。
出典「おりょうさん」追想より(一部改変)/大津観光協会発行

※当時を知る仲居が調査員に語った内容

「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、
当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だったようだ。勉強家で
英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。

おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまった
お客様を帰すのにも活躍していたであろうのは想像に難くない。
田中家を去った後も彼女を知る常連客より「今日はおりょうはどうした?」
という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が
「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという話が残っている。

雨の中、千葉県流山に行って来ました。

2008年06月28日-29日 

千葉県流山市商工会館にて 

戊辰戦争研究会 

新選組流山隊    共催

~流山140年ぶりの再会~と題して講演会と史跡巡り。

「新選組と戊辰戦争」作家 星亮一氏、

「新説・流山での新選組」新選組流山隊
隊長 松下栄治氏

 
天然理心流演武、近藤勇生家子孫 宮川清蔵氏と井上源三郎子孫 井上雅雄氏

雨天にもかかわらず、100名を越える参加がありました。
翌日は隊長の松下氏にご案内頂き、残念ながら雨でしたが、流山市立博物館、
長岡屋跡、陣屋跡、流山での分宿所、光明院、赤城神社、江戸川の土手等を見学。

江戸城無血開城を10日後に控えた微妙な時期に新選組は流山に移動して来た。
近藤や土方は地元の若者達と酒を飲み交わし、この国の在り方を語り合ったとい
う。翌日、西軍に包囲され、近藤勇が出頭し、流山を去るのは2日目のことだっ
た。新選組の滞在はわずか4~5日間だけで、しかも、この勇の滞在わずか2日
間を綿密に調査し、確実性のある推察がされている。

現場での検証がいかに大切か教えて頂けました。有意義な二日間でした。