みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 8月 2008

「最後の幕臣 小栗上野介」 星亮一・著 ちくま文庫

幕末維新、惜しむべき人物が露と消えた。その偉業も忘れ去られている。
勝者は永遠だが、敗者は歴史の霞の中に見え隠れしている。
同時代に生きた傑物達、共に日本のために努力したのであれば、
あまりにも不平等である。小栗忠順、その人である。
彼の偉業は声を高らかにして数えもできる。
明治に生きながらえていれば、間違いなく勝者であった。

終焉の地を訪れる著者の紀行文から始まり、その地での斬首までの六十五日間の不可思議な出来事、推理小説を読むような緊迫感が広がる。
それが討幕軍の罠だと悟ったのは時すでに遅し、骨の髄まで幕臣であった小栗の慢心か、最後の場面が詳しく説明され、今さながら悔しい思いにかられた。
その後、家族のみ会津に逃れるが、その苦難の道筋は読みながらため息が出た。時代背景である会津戦争も簡潔で的確に描かれている。
多くの関係書物からの適切な引用も参考になった。

遣米使節でのアメリカ体験があった。幕府の遺産として明治政府に
受け継がれ近代日本に重要な役割を果たす横須賀造船所の建設や商社の設立、
数多い小栗の偉業にはほれぼれする。フランス公使ロッシュや
横須賀造船所建設の責任者ヴェルニーとの交遊、なるほどと頷く勝海舟との確執、
緻密に構成された本書から、小栗がとても身近に感じられる。

惜しい人を亡くしたという簡単なことでは済まされない、小栗の残酷な死。
小栗が前面に立ちはだかれば薩長は危なかっただろう。
「薩長藩閥政治ではなく、日本列島をまんべんなく結集した政治体制が
できていたのではないか」、著者の言葉が力強い。

盛り上がる後半、会津藩・秋月悌次郎との友情が光った。
会津へと小栗が身を寄せていたら人生はまた違う方向へと進んで
いたかもしれない。

読み終えて、清々しい思いが残るのは、著者が小栗終焉の地、上州権田村を
訪れた紀行文が心を癒してくれたのだと思う。余韻が残りました。

「最後の幕臣 小栗上野介」 星亮一・著 ちくま文庫 740円+税

 幕末の徳川幕府を支えた男の悲劇

勘定奉行・外国奉行を歴任した小栗、諸外国との交流を進めるなど、
先を読めた幕臣の一人だった。小栗の能力は、資金調達、洋式軍隊の整備、株式会社兵庫商社の設立、横須賀製鉄所の建設など、多彩だ。
幕府瓦解後の無残な小栗の斬首は、薩長のあまりにも惨い行為の一つ。
近代になり評価され、司馬遼太郎は「明治の父」と記している。
心惹かれる星先生の最新刊です。

「万延元年 咸臨 航米」 星亮一・著 教育書籍

小栗、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らが織り成す米使節団航海記、
やっと入手できた星先生の一冊、咸臨丸の4ヶ月、面白そうです。

 

「徳川300年、ホントの内幕話」 徳川宗英・著 だいわ文庫 648円+税

NHK大河ドラマ「篤姫」が100倍面白くなる本! と題されている
通り、篤姫中心の面白い話がぎっしり。勝海舟、妻とは不仲で
咸臨丸で渡米の時、「ちょっと品川まで行って来る」と言い捨て
出てしまったとか。それはないと溝は深まったという。

「史実を歩く」 吉村昭・著 文春文庫 533円+税

桜田門外の変、現場事件から逃げて来た彦根藩士が、刀を捨て、雪の降る
多摩川を越えて寺の前で倒れていたという。住職が助けて事情を聞くと
もしも藩邸に戻れば、なぜ死ぬまで藩主を守って闘わなかったのかとなじられ、
必ず切腹を命じられる。それが恐ろしくてここまで逃げて来たと言った。
さらに男は、一生この寺に置いてくれと懇願したので、住職は承諾し、
男は頭を丸めて寺男となり、生涯を終えた。墓は寺にあるという。吉村昭は、
直接出かけ、探し出しておられる。「史実を歩く」正しく、史実を歩いてこられたのだ。
その他、生麦事件の調査、創作雑話などの裏話、興味が惹かれます。

みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。

八月も下旬となり、虫の音色も聞こえ始めています。

お盆休みは、南会津郡只見にある「河井継之助」の

墓前祭に行って来ました。命日が、八月十六日。

二年前に行った時は八月十五日で、一日違いだった

のを残念に思っていました。

只見は、継之助が没した所、河井継之助記念館

には継之助終焉の間が保存されています。

只見の人たちは、戊辰戦争で落ち延びてきた

二万五千人もの長岡藩士やその家族、付き人、

人夫を世話したといいます。

5千人ほどの過疎の村がそれほどの人たちを受け入れる。大変なことだったと思います。

来賓の長岡にもある河井継之助記念館館長・稲川明雄先生のお話で、

「義とは助け合うこと」、と話されたのが印象に残りました。

画像は、継之助が会津に向かって落ち延びていく峠の近く。

重厚な景色です。

会津の只見へ、河井継之助の墓前祭に参加して来ました。

八月十六日、なんということか、お盆が命日なんですね。

地元のたくさんの人たちが集まり、盛大でした。

作家の星亮一先生や、長岡にある「河井継之助記念館」館長の稲川明雄先生のお話も聞けました。

「助け合うことが義」、言葉も一つ、覚えました。

お土産は、いつもの起き上がり小法師(おきあがりこぼし)。

会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具の一つ。家族の人数+1個を購入し一年間神棚などに飾るそうだ。

 

稚児をかたどった可愛らしさ、見ているとほのぼのとする。

どんなことがあろうが、負けていない。何度でも立ち上がる。

会津のそんなガッツをもらえます!

来週、只見で行なわれる河井継之助の墓前祭に参加する予定です。、
それで、「河井継之助」星亮一・著を読んでテンションを高めていました。

幕末維新、会ってみたいと思う人物は、やはり継之助です。鹿児島で西郷は神と
崇められ、高知で龍馬はシンボル、山口の松陰・晋作は住民を見守っているかのような静けさの中にあります。
しかし、継之助は違います。
長岡を焼いたと百数十年経っても住民から非難され続けて、今でも、人々の関心の的。
しかし、心の中では、もう既に許している。継之助を身近に思っている証拠だと
思います。なんとドラマティックな人生であったろうと涙する場面や、

「けっしてめげることはない、その逞しさで、どこにいってもたちまち頭角を現
す」

人物が飛び出してきそうなほど、活動的で魅力的に描かれています。
本書を読んで、また、スケールの大きな継之助が現れてきました。

各地で記録的な猛暑、くれぐれも、熱中症など、
気を付けて下さいね。

さて、「篤姫」、いよいよ来週は桜田門外ノ変、今回の大河は歴史に忠実で安心して見ていられます。
もうすぐ、龍馬がお龍と共に登場ですが、玉木宏という
俳優は知りません。どんな人でしょうか。
和宮付き侍女の中村メイコは知っているけれど、
若い方はご存じないかも・・。

片岡鶴太郎が岩倉具視、どんな岩倉になるのか。
後藤象二郎、中岡慎太郎、久坂玄瑞も出てくるらしい。

ここだけの話、今夜の「篤姫」に出てきた老女・村岡ってどんな人かなと思っていたら、番組の最後で京都にある村岡像を見て、あぁ、この村岡だったのかと今頃分かりました。

老女・村岡役の星ゆり子さんがあまりの美しさだったものですから、
ピンときませんでした。実際とかけ離れすぎてる、、、、
今夜のつぶやきでした。

では、また。

毎日、とんでもなく暑いですが、お元気でお過ごしでしょうか。

夏の読書、楽しんでいます。

今日は、その中で、面白い話を知りました。
三条池田屋に行く途中、(勿論、池田屋はもうありませんが)
「大村益次郎・佐久間象山 遭難の碑」、斜め前に「めなみ」という
料亭があります。ここは、あの近藤正臣さんのご実家です。
以前、テレビを見ていたら、池田屋は自分の敷地だと
豪語されていて、とても頼もしく思っていました。

近藤さんといえば、なぜか平野国臣を思い浮かべていました。
幕末の志士を、どこかホウフツとさせる名前ですよね。
それが、やはり、関係があり、近藤さんのご先祖は、
近藤正慎という勤皇の志士でした。清水寺の寺侍であり、
あの月照と共に活動していて、月照が西郷と鹿児島へ脱出した時に
捉えられ、十数日の断食ののち舌を噛み切って自殺。この未亡人に、
清水寺が同情して茶店の営業を許可し、茶店はいつしか「舌きり茶屋」
として有名になり、繁昌したという。

その直系の子孫が近藤さんでした。ご親族には清水焼・人間国宝の
陶芸家もおられるようです。近藤さん、勤王の志士役で大河ドラマに
出てきてくれないでしょうか。

では、この暑さ、くれぐれも、ご自愛の程、お祈りしております。