みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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先日、訪れた宮城県・白石には、長州藩士・世良修蔵の墓がありました。

会津藩征伐に派遣された奥羽鎮撫総督府下参謀の世良。
「奥羽を皆敵と見て、武力をもって一挙に討伐せよ」という密書を仙台藩が入手し、暗殺されかかりました。逃げようとした時、ニ階にいたので飛び降りたのですが、運悪く、石灯籠に頭をぶつけてしまいました。
地元の方にお伺いしたところによりますと、捕縛はされたものの頭は破損した状態で、瀕死の重傷だったそうです。
どうせ助かりはしないと誰もが思う中、阿武隈川河原で斬首されました。

鳥羽伏見戦において、世良は別働隊を率いて転戦しました。
戦闘能力には長けた人だったようですが、年若い世良には東北諸藩との折衝担当としては未だ力不足で、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との交渉は行き詰まり、戦争を回避することができませんでした。

 

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