みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 3月 2009

非公開の前川邸見学ツアーが行なわれます。

第2回 幕末の京都を歩く(2) 
新撰組を歩く(伏見から壬生、島原へ)

【日程】 2009年4月11日(土)
【講師】 木村 武仁氏(霊山歴史館 学芸員)
【代金】 お一人 15,000円
【集合】 大阪梅田 毎日新聞社前 8時50分
貸切バス 

 スケジュール

梅田・毎日新聞ビル前(9時)発=阪神・名神=

伏見・寺田屋(木村講師と合流)-龍馬通り商店街

御香宮神社(薩摩軍陣営)-伏見奉行所跡-

昼食・京料理のうを竹でミニ懐石料理

(創業慶応元年)=壬生・光縁寺(新撰組隊士の墓所、山南敬助らの墓)-新撰組屯所跡

(旧前川邸・非公開今回は特別に見学します)-芹沢鴨が暗殺された八木邸(抹茶、お菓子賞味)

-新徳寺-壬生寺(壬生家)芹沢鴨らの墓、近藤勇胸像=島原・大門・輪違家-角屋=

霊山歴史館(特別展・よみがえる幕末維新 動乱から変革)=高速=大阪駅周辺(18時頃)

 http://www.mainichi-ok.co.jp/club/003.html

今年、初めて、京都・壬生で催された「山南忌」に参加して来ました。なかなか充実した内容で、一日、たっぷりと新撰組に浸ることができました。

山南 敬助、元治2年(1865年)2月、「江戸へ行く」と置き手紙を残し、新選組を脱走。近藤と土方は、沖田を追っ手として差し向け近江国大津で捕捉する。のち屯所にて切腹。

山南の馴染みである島原の明里、急遽、前川邸に駆けつけます。その悲しい別れの場面は、子母沢寛の小説で、あまりにも有名ですね。その時の窓の木枠が前川邸の蔵に保存されています。

明里、実在したかどうかも分からない。どうやら、子母沢寛の創作かも、、、。

墓は壬生の光縁寺にあり、墓石まで砕いて持ち去った熱心なファンのため、ガタガタになっています。見る度に、心が締め付けられます。

 

昨年の二月、作家の星亮一先生と戊辰戦争研究会の皆さんと共に、雨の中、淀城をスタートして、伏見区の史跡を巡りました。

そして、一年後、星先生がお書きになられて、素晴らしい本が出来上がりました。記念の一冊です。
私が、補章を書かせて頂きました。

書店に行かれましたら、是非、ご覧下さい。写真等、たくさん入って、お楽しみも満載です。

~最新刊~   発売中

『鳥羽伏見の砲声 ―徳川幕府終焉の舞台裏』
星亮一・著 三修社 2,000円+税

明治維新は、慶喜の自滅によって転がり込んだものだった。
この波に乗り遅れた東北、越後は逆賊の汚名を着せられ、痛恨の明治を迎えることになる。
日本の運命を変えた八年間、その幕切れが鳥羽伏見だった。(本文前書より)