みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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今年、初めて、京都・壬生で催された「山南忌」に参加して来ました。なかなか充実した内容で、一日、たっぷりと新撰組に浸ることができました。

山南 敬助、元治2年(1865年)2月、「江戸へ行く」と置き手紙を残し、新選組を脱走。近藤と土方は、沖田を追っ手として差し向け近江国大津で捕捉する。のち屯所にて切腹。

山南の馴染みである島原の明里、急遽、前川邸に駆けつけます。その悲しい別れの場面は、子母沢寛の小説で、あまりにも有名ですね。その時の窓の木枠が前川邸の蔵に保存されています。

明里、実在したかどうかも分からない。どうやら、子母沢寛の創作かも、、、。

墓は壬生の光縁寺にあり、墓石まで砕いて持ち去った熱心なファンのため、ガタガタになっています。見る度に、心が締め付けられます。

 

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