みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 7月 2009

今年の梅雨は異常に長いですね。

さて、先日の皆既日食、ご覧になられましたか。
こちら曇りでしたが、たまたま太陽が顔を見せて
友達は望遠鏡でしっかり見たと聞きました。

その日食、今を去ること八百年ほど前、源平合戦の時も起こりました。

平家は天文の専門家がいて、事前に知っていました。
しかし、源氏は知らなかった。暗くなってきて、
平家側から歓声が上がると源氏は天は平家の味方をしていると怯えてしまった。
この水島(岡山)の戦いだけは、平家の勝利でした。
現地の碑の上に黒い印刻が彫られていて、この黒点はなんだろうと
思っていたのです。

画像は、地元新聞掲載文です。

「幕末志士の「政治力」」-国家救済のヒントを探る (祥伝社新書143) (新書)
瀧澤 中 (著) ¥ 840

 幕末の混迷は現代の比ではないが、その混迷の時代を駆け抜けた坂本龍馬、
西郷隆盛、新選組、そして幕府側の志士たちはどのような政治意識を持っていた
のか。そして彼らの政治家としての力はどのようなものだったのか。現代政治学
家・政治史研究家である著者が、“人間力”の視点から、幕末志士と現代政治家
の違いや、彼らの活躍から国家救済のヒントまでを読み解いていく。

 

「江戸城を歩く」(ヴィジュアル版) (祥伝社新書 161) (新書) 黒田 涼 (著) ¥ 1,050

 突如として、東京の街角に江戸が現れる。
石垣、碑、門、大工事の跡、ビルの谷間に眠る江戸城の痕跡、
現在の地図と古地図を比較してカラー写真も満載、
江戸東京タイムスリップを楽しみましょう!

 

「絵で見る幕末日本 」(講談社学術文庫) (文庫) エメェ アンベール (著),  ¥ 1,155 
 1863年4月、日瑞修好通商条約締結のため来日したスイス時計業組合会長が見聞
した幕末日本の諸相。江戸は勿論、長崎・京都・鎌倉など日本各地の様子、特に
江戸の町を鉛筆と手帳を携えて巡り歩き、鋭敏な観察力で鮮やかに描き出す。
床屋・本屋・武道場等の情景や武家屋敷のたたずまいなど、
幕末の日本が鮮やかに蘇る細密で美しい挿画140点を掲載。

 

「漫画版 日本の歴史〈7〉江戸時代2 」(集英社文庫) (文庫)  高埜 利彦, 阿部 高明 ¥ 600 

  五代将軍綱吉は、礼儀を守り、お家に忠孝を尽くす新秩序を確立した。
戦国乱世の記憶はようやく薄れて、太平の世が花開く。およそ二百年間、日本は
戦争のない平和な時代を謳歌する。しかし、徳川幕府にとっては国庫窮乏との戦
いの連続でもあった。八代将軍吉宗の享保の改革以降、数度の改革が行われたが、
幕府の財政は根本的には改善されない。衰える幕府に海外列強の魔手がしのび寄
るのだった。劇画調漫画で楽しめる幕末史。

 

「偽りの幕末動乱」 (だいわ文庫) (文庫)  星 亮一 (著)  ¥ 650
 
 明治維新は、薩長の歴史である。そのことを思い知らされた一冊である。

  私は、安政の大獄を断行した井伊直弼を評価していなかった。
しかし、この考えがくつがえることになる。
『直弼を弁護したのは、海舟である。「あの男は立派だったよ」』
という意外な一行がでてくる。これは、深く私の心に響いた。
「安政の大獄は過酷な面もあったが、これを断行して開国を進めた
直弼は卓越した行動力の政治家だった」ということが理解できた。
物事を正確に判断するということに導いてくれた本書は、私には
記念に残る一冊になったように思う。

「当時の日本人は、この暴挙に拍手喝采を送った。痛快であれば
それでよしという風潮だった。勤皇・勤皇と人々は酔いしれた」とある。
当時の国民意識が、この一行でよく分かる。
このような事実を見事に表白した文章の切れが随所に出てくる。
「松平慶永、この人はいつでも第三者だった。肝心なときに姿を消していた。
そういう人が生き残るのが世の常というのは寂しい話である」というスパイスの
きいた人生訓、そして、引用文が的確に引用されている。

特に熱の入った、後半の盛り上がりがよい。
「会津藩は江戸に一大勢力を持っており、、、これだけの処遇を受けている
以上、京都守護職に選ばれるのもやむを得ぬことだった」とある。
会津藩が京都守護職に選ばれた経緯がよくわかった。

「薩長はイギリスに支援をあおぎ、幕府はフランスの支援を受けていた。
尊皇攘夷どころではない。日本はフランスとイギリスが入り乱れてどちらが
勝つかの、いわば代理戦争になっていたのである」…正に、本の題名の
「偽り」の真意がここにある。

幕末動乱の流れがよく分かった。歴史の醍醐味を感じ取る上で格好の書籍である。
幕末の歴史の奥深さを教えてくれた本書に深く感謝したい。

 

新しい発見がある内容の濃い本である。
知らなかった箇所や、印象深い所に、付箋を付けてみた。
いかに学ぶ所が多くあったか、相当な数にのぼった。

幕末史の登場人物の簡潔で見事な人物評価が楽しい。
板倉勝静は、単純を絵に描いた人物だった。
この方、わが地元の殿様でした。
まさにぴったりで、思わずほくそえむ。

井伊直弼と水戸の確執について丁寧に説明されていた。
きっかけがいかに重要か、その後の歴史の流れを左右するという。
薩摩は水戸を使って桜田門外の変を起こした。薩摩の工作の巧みさ。
会津は勿論だが、長州や薩摩、それぞれの立場から丁寧に解説されている。全体を見渡すことがいかに大切か。

高杉晋作の特異な存在感、幕府の無能さを誰よりも早く察知した冷静な状況判断。彼なくして、長州藩は存在しなかっただろう。
晋作の言葉で、「人は艱難は共にできるが富貴は共にできない」というものがある。
岩倉が亡くなり、その後の日本を率いた長州閥を予言していたのだろうか。

「勅書が偽物なら錦の御旗も偽物、これぞ幕末最大の謀略だった」
畳み掛けるような情熱的な文章が、140年前の革命を呼び起こしてくれる。

大久保利通が暗殺された時の馬車を見たことがある。
紀尾井坂を転げながら、天下を手中に納めた彼の脳裏に去来したものは、なんだったのだろう。
その答えは、本書を読めば明々白々である。

「謀略の幕末史―幕府崩壊の真犯人」 星亮一・著 (講談社プラスアルファ新書) 880円

元新聞記者の回想録を読む機会がありました。

40年間の記者生活の総まとめ、「東京五輪」から
グリコ・森永事件、「阪神大震災」、、、
その中で、一番、心に残った話は、駆け出しの頃、
先輩達から良く聞かされたという話です。

 

紀元前、中国に斉という国があって、崔杼という
実力者が荘公を暗殺して王位に就いた。

当時、中国のどの国にも太史という史官がいて、
歴史を厳格に綴っていた。斉の太史も「崔杼、
荘公を弑す」(弑すは目上の人を殺すこと)と
ありのままに書いた。

怒り狂った崔杼は太史の首をはねた。
太史職は世襲制。
殺された太史の弟が継いで、また同じことを書き、殺された。
弟の弟、三男が太史となった。
「怖くて夜逃げするのでは・・」と噂されたが、
三男も平然と書いた「崔杼、荘公を弑す」。
ここに至って、さすがに崔杼も殺害を諦めた。

この一行が奇跡的に歴史に残り、後世、司馬遷の
「史記」に拾われて、感動的なエピソードとなった。

龍馬は、維新後、あぶれた浪人達を伴い蝦夷地開拓という夢を持っていました。
龍馬亡き後、それは、坂本一族の開拓移民という形で実現します。
総勢00名が樺戸郡月形村浦臼に移住します。
札幌の北で、当時としては入植地として比較的恵まれた場所でした。

不運なことに、浦臼に移住した4ヶ月後、 石狩川の
大洪水に見舞われ開拓移住団は 大打撃を受けてしまいます。

一族の者には 争いごとに巻き込まれピストルで撃たれて死亡した者もいました。また、水害救済運動に活躍した者、北海道各地を巡り福音を説いて歩いた伝道者もいました。
その後、一族は離散し、蝦夷地開拓の夢は 挫折しましたが、「魂の開拓者」として坂本家の果たした功績は大きいといえます。

北海道坂本龍馬記念館も、いよいよ7月に工事着工の予定です!
http://www.ryoma1115.com/kinenkan/index.html

画像は、高知の坂本家の本家跡の喫茶店「さいたにや」です。
 坂本家の本家才谷屋は、城下屈指の豪商で、その屋敷跡は坂本家と隣接して水道
 町のあたりにあった。才谷屋跡から南に少し歩くと「喫茶さいたにや」(8~18
 時、日・祝は8時30分~15時)があって、ここは高知の龍馬研究会の事務局でも
 ある。店内には龍馬グッズがいっぱいで、龍馬ファンが集まる店となっている。