みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 8月 2009

よみがえる箱館奉行所 五稜郭跡、幕末の姿復元    (北海道新聞 08/25 07:24)

【函館】江戸幕府の北方警備などの拠点として1864年(元治元年)に建設され、明治新政府によって1871年(明治4年)に解体された「箱館奉行所」の復元工事が函館市の五稜郭跡で進んでおり、外装部分がほぼ完成した。

外壁を保護するための覆いを外した工事現場では早速、観光客らが真新しい奉行所にカメラを向けていた。

 奉行所は木造平屋で広さ約千平方メートル。中央部の「太鼓櫓(やぐら)」まで含めた高さは約17メートル。函館市が2006年から、発掘調査の結果と古写真などを基に、本州の宮大工らを集めて当時と同じ場所、材料、工法で復元工事を進めてきた。
文化庁や道などの補助を含めた総事業費は約27億円。

 今後、内部の壁の塗装や、建具の取り付けなどの内装工事を進め、来年6月に完
成、夏にオープンする予定。
 

高知県立坂本龍馬記念館の企画展「-龍馬の望まなかった戦争-戊辰戦争」
(開催期間 2009年7月18日(土)~10月9日(金))を見に行って来ました。小規模なスペースでの展示でしたが、説明文の文章も素晴らしく巧みで、充実した構成でした。良い企画で心に深く残りました。
平和主義者の龍馬、彼の思いは私達の世代を超えて、永遠に語り繋がれていくことでしょう。

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今年は戊辰戦争集結140年目、幕末の志士達は天皇を中心とした国造りを模索し
ていました。龍馬もそうでしたが、武力は避けたいと考えていました。
しかし、戊辰戦争は起きてしまいます。大久保や西郷が、何故に、鳥羽伏見で戦いに踏み切ったのか。徳川慶喜は幕府を存続させたかったのですが、新政府側には慶喜を迎え入れることなどできませんでした。
徳川幕府を徹底的に根こそぎ壊してしまいたかったのです。
その中で、会津藩は粘り強く闘い、鳥羽伏見以来の戦死者は二千七百人を越えま
した。幕末当時の日本の人口が二千五百万あたりでしたから、この戦死者の数は
驚異すべき数です。

新政府は「薩長の人でなければ人ではない」と言われたぐらい薩長中心でした。
命の大切さ、平和思想を持っていた龍馬です、龍馬はこのような政府を作るために、薩長同盟をすすめたのではなかったはずです。

そして、西郷・大久保、亡き後、明治政府は歯車が狂ったように軍国主義へと向
かっていくのでした。
戊辰戦争が本当に必要な戦いだったのか、改めてそのことを問い直すものです。

「迷惑をかけ申す」、床の間を背に腕を組み、真っ赤な目でギョロリとにらみつけられた、あの顔が忘れられないと、西郷隆盛の思い出を祖母から聞かされ育った宮崎県延岡市の児玉剛誠さん(66)の生家は、

当時西郷隆盛が愛用した硯・船型枕などの遺品の他、種々の戦争資料が展示され、西郷隆盛宿陣跡資料館として現存しています。

また、西郷が陸軍大将の軍服をこの児玉邸の裏庭で焼いたといわれています。

西南戦争は、西郷の英雄像や田原坂の戦いが有名ですが、当時鹿児島県の一部で
あった宮崎県が最も烈しい戦場になった事実は教科書でも紹介されていません。

追われる兵士達は宮崎の民家からの略奪や放火などを繰り返し、人々を苦しめ続
けました。
両軍合わせて約三万数千人の死傷者を出した西南戦争。終結後、戦後処
理問題に取り組んでいる時、宮崎の人々は鹿児島の支配下に置かれていることの
理不尽さに気付き、そして、宮崎が鹿児島から独立する分県運動が起きるのです。

西郷隆盛は最後の宴を開くため、ニワトリを数羽調達してもらった礼に小判を三十
数枚置いていったといいます。「父親には兄弟が六人いて皆で分けた、父はそれ
で金歯を作ったそうです」と、児玉剛誠さんは回想します。西郷は、ここから険
しい山道を上がり、2週間かけて鹿児島まで帰り着き、自刃します。

画像は、資料館内、最後の軍議の様子をろう人形で再現したもの。

 

「致知」という雑誌をご存知でしょうか。

たまたま、友人から紹介され、幸いなことに
童門冬二氏の「小説・西郷隆盛」が連載されていたので、
これは楽しみだと読み始めました。

が、なんと、「致知」には西郷さんの連載を上回るような、
素晴らしい連載が載っていたのです。(童門先生、ゴメンね)

「子孫が語る日本の偉人」、8月号は、勤王の志士のカリスマ藤田東湖でした。

水戸藩九代目藩主・徳川斉昭に仕え、
藩政改革を推し進めた家老、また水戸学を大成させ、
幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた人物、

西郷さんをして、「東湖先生と話していると清水を浴びたような曇りのない心となって、帰り道さえ忘れてしまった」と言わしめています。(以上、「致知」より抜粋)

 

 

人を惹き付ける、その魅力、、、
直系六代目、添付画像の左手の子孫・英明氏をご覧になれば、東湖の面影もほうふつとしてくるではありませんか。

顔も性格も一族で一番似ているという英明氏は、
「思い込んだらまっしぐら、志のためなら自らの命も惜しくない」という東湖の導きか、介護福祉の革命児としてご活躍とのこと。

ため息付くほど、似ていますね。

           続きます、次回もお楽しみに。