そこまで似るの、幕末の子孫 シリーズ2 「緒方洪庵」 Published 2009年9月19日 | By hosblo01 大阪で長く暮らした私にとって、適塾はとても身近な存在でした。 テレビでも、適塾に材を取ったドラマがたくさん放送されて、そこでの猛勉強ぶりに畏怖感さえ持ったものです。 福澤諭吉をはじめ、村田蔵六、大鳥圭介、橋本左内など綺羅星の如く輝く有為な人材を育て上げた緒方洪庵。 洪庵曰く、「医の世に生活するは人の為のみ をのれがためにあらずということをその業の本旨とす。 安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし」 この言葉は、医療者の必携書に載せられていたそうです。しかし、いつの間にか姿を消し医者のレベルが低下したと嘆かれるのは、画像の緒方家五代当主の医学博士である緒方惟之氏。お顔はもちろん、その慈愛ある眼差しは、洪庵の生き写しです。 「医者は儲かりますよと口にした開業医に自分の耳を疑いました、昨今では珍しくもないですね。私は子供を授からなかったので、緒方の直系は終わることになりますが、洪庵が示した医者としての原点を医療に携わる方々に伝えていければと考えております」とおっしゃいます。 来年は、その洪庵の生誕二百周年。私が、今、暮らしているのは洪庵・出生地の岡山です。江戸時代、寺子屋の数が全国で第三位、その教育熱心な風土が洪庵を育んだのでしょうか。来年、何か催しはないかと楽しみにしています。
幕末京都 Published 2009年9月18日 | By hosblo01 オフ会を計画しています。 20名の方の参加があり、今回も、みなさんにできるだけ楽しんでもらおうと思っています。 今回のメインは、京都守護職屋敷門(平安神宮西のバス駐車場に移築)見学です。もう一つの門は、京都国際ホテルに移築されていて、ここのホテルの庭は越前藩京屋敷の庭をそのまま使っているそうです。 スタートは、京都駅から四条河原町へ、高瀬川を北上(岡田以蔵の刀キズ~土佐稲荷~土佐藩邸跡~酢屋)、そして、池田屋から三条大橋、並河靖之七宝記念館へ、見学後、平安神宮の京都守護職門、更に歩いて、二条大橋から、柊屋・俵屋前を通過、京都文化博物館、新風館へ、京都伝統工芸館、紫織庵、無名舎(町屋)を見学・・・。 画像は、幕末の京都です。平安神宮の鳥居前のあの壮大な場所は、加賀前田屋敷でした。今は、京都市立美術館付近です。その広さは他の藩邸とは格段の違いです。画像にはない他の場所と現在の地図と見比べてみると、川だった所が道となり、高瀬川も縮小されて、まるで違う姿となっています
篤姫様 御宿 Published 2009年9月13日 | By hosblo01 今日は、岡山県内を巡って来ました。 まず、倉敷市真備(まび)町の吉備真備(きびのまきび)記念館へ、(遣唐使から、帰朝後は聖武天皇や光明皇后の寵愛を得て右大臣に任ぜられて政権を握った)、それから、井原市にある那須与一の供養墓へ、のち同じ井原市の、北条早雲の誕生地「高越城址」へ。 そして、本日のメーンである矢掛市の矢掛本陣(石井家住宅)、国の重要文化財指定。本陣は参勤交代で江戸と国もとを行き来する大名や公家、幕府役人の宿として機能し、建物は、当時の建築の粋をこらして、当時の繁栄を現在に伝えています。 そこで意外な事実と遭遇しました! NHK大河の「篤姫」では、海路で江戸に向かったはずの篤姫、実は陸路、江戸に向かったというのです。それも、この矢掛本陣で宿を取られたとのこと。 《篤姫、岡山・矢掛に宿泊か》 旧本陣宿帳に「薩州御姫君様」記述 大河ドラマ「篤姫」のモデルとなった天璋院篤姫(1836―83年)が、岡山県矢掛町矢掛の旧矢掛本陣石井家に宿泊したと思われる記述が8日、同本陣に伝わる古文書から見つかった。 やかげ文化センター古文書室長の渡邉和夫さん(75)が、篤姫が徳川13代将軍家定に嫁ぐため、薩摩から陸路江戸に向かったとされる1853(嘉永6)年8月から同10月の本陣の宿帳(岡山県立博物館寄託)を解読し、発見した。 薩摩藩主を示す中将様が入った「中将様御娘也」や「薩州御姫君様」という記述のほか、女中や警護の武士ら本陣に宿泊した人数(52人)、食事の手配も記載。日付はないが宿帳の前後の記述から9月とみられ、時期や規模から篤姫の一行である可能性が高い、としている。 矢掛宿では甘党の篤姫が女中のためにたくさんの地元銘菓「柚べし」を八十数本も買われたのだとか…。同年8月21日から10月23日の2ヶ月をかけて、凡そ300人の陣勢で薩摩街道から旧山陽道を経て陸路で江戸に向かれたご様子である。 (2008年11月09日 山陽新聞)
麗しの都、江戸! Published 2009年9月6日 | By hosblo01 「江戸通になる本」 秋山 忠彌 (著) 新人物文庫 ¥ 700 「東海道五十三次の旅は何日かかったか」「見栄で食う初鰹代が十五万円!?」「江戸ッ子の生活はタブーだらけ」「吉原通いは男の必須科目?」「娘かわいや雛かざりは高し」などなど、八百八町に生きた江戸庶民の暮らしと人情風俗のあれこれを満載した、江戸ものしり知識。「江戸ノベルズ」の世界を、より深く味わいたい人に贈る指南書。 「娯楽都市 江戸の誘惑」安藤 優一郎 PHP新書 ¥ 735 芝居、相撲、寄席、見世物、花見、寺社の開帳、富突、大食い・大酒呑み大会――天下泰平の江戸の町では、毎日どこかでイベントが催されていた。浅草、吉原、両国、木挽町だけでなく、大江戸八百八町には刺激的な娯楽空間が満ち溢れていたのである。人々は寸暇を惜しんで遊びに出かけ、現代の宝くじにあたる富突の当せん番号発表会場にも足を運んでいた。こうして江戸っ子たちが遊びに費やした金が莫大な経済効果をもたらし、町を活性化させていたのである。娯楽という切り口から、知られざる江戸経済の実態に迫った新しい試みの書。 「江戸の科学力」学習研究社 ¥ 1,470 からくり人形から時計、数学、世界初の全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲、近代化を推進した薩摩の島津斉彬、日本の写真技術を定着させた上野彦馬、等々、オールカラーで楽しめます。 「一個人 横浜を旅する」 ベストセラーズ ¥ 680 色鮮やかな浮世絵からスタートする横浜。ペリー来航から開港、東洋一の貿易港へ。パン、クリーニング、競馬、新聞、アイスクリーム、ガス灯、横浜発祥の文明開化が新鮮です。美味しいものからミュージアム見学、幕末から現代に至る横浜が楽しめます
「海の見える杜美術館」 Published 2009年9月6日 | By hosblo01 お元気でお過ごしでしょうか。新型インフル、心配ですね。 さて、広島の「海の見える杜美術館」に行ってきました。 8月23日から岩倉具視文書初公開と関係する講演会が開催されていたのです。行って初めて分かりましたが、宗教法人の金持ち美術館でした。文献、散逸されず、ここで買ってもらっていて良かったです。この風変わりな建物の1~2階が美術館でした。 *************************************************************新発見の史料が多数含まれていることがわかった明治政府の最高指導者、岩倉具視の関連文書が21日、所蔵する「海の見える杜美術館」(広島県廿日市市)で報道陣に初公開された。調査を進めてきた研究者らが「明治政府の政策決定の過程などがわかる大変貴重な史料だ」と意義を強調した。 文書は、西郷隆盛や大久保利通、伊藤博文、三条実美らが、岩倉あてに出した政策や政府運営に関する書簡、意見書など計約1700点。同美術館が23年前に入手し、未公開のまま所蔵していたが、昨年からの調査の結果、8割程度が新出の史料とみられることが今月上旬に明らかになった。 このうち約10点が公開され、調査を行った三沢純・熊本大准教授は「当時、岩倉のもとにどんな情報が集まってきていたのかがわかり、意義は大きい」と説明。佐々木克・奈良大教授は「明治元年の江戸への天皇の行幸について、政府内で(計画が)どのように決まったのかなどがはっきりした。貴重な史料だ」と話した。 同美術館は今年8月23日からの特別展で一部を公開予定。三沢准教授らは史料の全容解明を目指し、2年後に資料集を刊行する。