みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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今日は、岡山県内を巡って来ました。

まず、倉敷市真備(まび)町の吉備真備(きびのまきび)記念館へ、(遣唐使から、
帰朝後は聖武天皇や光明皇后の寵愛を得て右大臣に任ぜられて政権を握った)、
それから、井原市にある那須与一の供養墓へ、のち同じ井原市の、北条早雲の誕生地「高越城址」へ。

そして、本日のメーンである矢掛市の矢掛本陣(石井家住宅)、国の重要文化財指定。
本陣は参勤交代で江戸と国もとを行き来する大名や公家、幕府役人の宿として機
能し、建物は、当時の建築の粋をこらして、当時の繁栄を現在に伝えています。

そこで意外な事実と遭遇しました!

NHK大河の「篤姫」では、海路で江戸に向かったはずの篤姫、実は陸路、江戸に
向かったというのです。それも、この矢掛本陣で宿を取られたとのこと。

《篤姫、岡山・矢掛に宿泊か》

旧本陣宿帳に「薩州御姫君様」記述

 大河ドラマ「篤姫」のモデルとなった天璋院篤姫(1836―83年)が、
岡山県矢掛町矢掛の旧矢掛本陣石井家に宿泊したと思われる記述が8日、同本陣
に伝わる古文書から見つかった。

 やかげ文化センター古文書室長の渡邉和夫さん(75)が、篤姫が徳川13代将軍家定に嫁ぐため、薩摩から陸路江戸に向かったとされる1853(嘉永6)年8月から同10月の本陣の宿帳(岡山県立博物館寄託)を解読し、発見した。

 薩摩藩主を示す中将様が入った「中将様御娘也」や「薩州御姫君様」という記述のほか、
女中や警護の武士ら本陣に宿泊した人数(52人)、食事の手配も記載。日付は
ないが宿帳の前後の記述から9月とみられ、時期や規模から篤姫の一行である可
能性が高い、としている。

矢掛宿では甘党の篤姫が女中のためにたくさんの地元銘菓「柚べし」を八十数本
も買われたのだとか…。
同年8月21日から10月23日の2ヶ月をかけて、凡そ300人の陣勢で薩摩街道から旧山陽道を経て陸路で江戸に向かれたご様子である。

(2008年11月09日 山陽新聞)

 

4 Responses to 篤姫様 御宿

  • 岡山県内巡りですかぁ。いいですねぇ♪
    那須与一は平家物語にでてくるイメージ
    しかないのですが…京都の戒光寺にも
    たしか、お墓がありますよね!
    篤姫さま、矢掛本陣に宿をとられたというのが
    新たに発見されたのですかぁ…!
    柚べしを80数本お買い上げされたんですね(笑)

  • 大河ドラマ「篤姫」では海路で行った事になってましたよね。
    けど実際は陸路だったんですね。
    しかし、、婚礼のために二カ月!?
    そして総勢300人!?
    昔は歩くしか無いので日数はともかく、
    ものすごい人数、引き連れて行ったんですね!
    将軍の正室ともなると、それくらいは当たり前、だったんでしょうか?
    いや、もう、、考えられません(^_^;)

  • コメントをありがとうございます。
    京都のお墓が、ほんまもんと思います。
    篤姫のことは知りませんでした。
    ここに来られたんだと思うと嬉しかったです。
    なお、岡山のこの地域は、映画の「男はつらいよ」
    寅さんシリーズでよくロケをしています。

  • あさぎさま
    コメントをありがとうございます。
    篤姫は、鹿児島から長道中でしたね。
    でも、景色は良かったし、名物もアチコチで
    食べることができたので、良かったかもしれませんね。

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