みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 5月 2010

五月五日、新緑の京都の町を歩いてきました。


京都には普段見ることのできない寺社仏閣や文化財がたくさんあります。

春・夏・秋・冬のそれぞれの季節に企画されている特別公開では、非公開の彫刻・襖絵・庭園・建築などが期間限定で公開されています。

これを見学する集会を年間二度、春と秋に行っています。

 11時に京都駅にて集合、地下鉄で丸太町まで出て、おかきの播磨屋・ステーションで無料の飲み物とおかきを食べ、お腹を満たし準備OK。

さあ歩きましょうと、元気に出発しました。蛤ご門から御苑に入り、目にも鮮やかな新緑の中、森林浴をしながら、特別公開の冷泉家へ。

画像は、 節句の飾りつけです。凄いですね。

 

 維新後、明治天皇と共に上京した公家達でしたが、この冷泉家は京都の留守番役として居残り、現在も唯一残る公家屋敷です。格式の高さは言うに及ばず。真剣な面持ちで、藤原定家などの貴重な直筆を保存している文庫蔵を見学しました。

 

 

 

岡山城で開催されていた、「幕末の動乱展」 
副題 「会津と長州、そして岡山」を見学して来ました。
素晴らしい展示品が集められ、力の入ったものでした。
今回、とても感動したことがあります。
手代木勝任の生き方です。
ワンフロアーを使い紹介されていました。

岡山に赴任し、道路浚渫工事、水害、学校設立、その度に個
人的に多額の寄付金を出し、県民を励まし続けました。
(今の政治家に知ってもらいたいですね)
手代木勝任、どの地に赴任しても同じ事をされたことでしょう。
会津には戻らず、岡山の地に眠っておられます。
会津の義を通した人物でした。
人生のお手本ですね。

手代木勝任  文政9年~明治36年(1826~1903)

京都守護職時代の会津藩公用人。会津藩士佐々木源八の長男で、
手代木勝富の養子となった。京都守護職松平容保の公用人として渉外関係を担当、
新選組や所司代、町奉行などを指揮し浪人の取締に当たった。戊辰戦争では伏見
の戦いで各地で転戦、奥羽列藩同盟で諸藩へ連絡を取り籠城戦では若年寄として
奮戦。開城時には米沢へ秋月悌次郎(秋月胤永)と共に降伏の使者にたち、諸藩
邸へ禁固され明治5年赦免となる。その後新政府に仕え明治11年岡山県吏となり
16年岡山区長に進んだ。京都見廻組の佐々木只三郎は実弟。

 テレビではなく映画のような映像にこだわった汗の結晶がこの作風をつくりだしました。NHK大河を変えようとしている人達の思いとは、、、。

 
龍馬伝の放送開始から五カ月が経ちました。香川照之が演じる極貧時代の岩崎弥太郎の歯まで着色した汚れぶりや、まるで映画のように陰影のある映像への反響も大きく、視聴率は20%を超えています。「龍馬伝」が取り組んだ維新というべき数々の挑戦、それは一歩間違えると、これまでの大河ファンを失うかも知れない「危険な冒険」でもありました。
 
「龍馬伝」はNHKが制作した49作目の大河ドラマで、製作費も数十億かかるといわれています。ですから、大河ドラマは絶対に失敗できないドラマとも言われています。
 
篤姫では着物やセットの豪華さにこだわりましたが、龍馬伝は幕末に生きる人達のエネルギーや生活のにおいを出したくて、「汚し」を徹底していますね。こうした汚れをこれでもかというぐらい取り入れることで、登場人物が身近な存在に感じることができるのです。
 
映画の様な画質、大河初のプログレッシブカメラの導入、オープニングにハリウッド歌手を起用しました。今までの大河にこだわらず、伝統ある大河の変革に挑み、熱気あふれる「龍馬伝」ができあがりました。このことが、高視聴率の背景にあります。
 
大事なことは、良い台本があり、良い役者が演じ、スタッフが良い仕事をして面白いものを作るという、もの作りの原点に立ち返ることですね。伝統に則して制作しているということかもしれません。