みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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  坂本竜馬一家と交流のあった無名の土佐藩士の日記が専門家の間で静かな注目を集めている。幕末の血なまぐさい政治情勢をよそに日ごろの生活や竜馬の兄との交流が淡々とつづられ、専門家は「世間の激動から一歩距離を置いた中年武士の思いが表れ面白い」と評価している。

 筆者は作家安岡章太郎さんの祖先の土佐藩郷士安岡文助。1800年代中ごろの日常を約30年間、約220ページにわたって書き留め、幕末維新期の祖先を取り上げた安岡さんの小説「流離譚」にも登場する。

 次男嘉助は藩の重職吉田東洋の暗殺犯で、過激な政治活動に打ち込んだ志士。だが、暗殺があった62年は「嘉助 大石団蔵 那須新吾 坂本龍馬 亡命」(4月8日)など3日分しかない。暗殺に触れず、名前の表記や日付が事実と異なる個所もあった。

  県立坂本竜馬記念館の三浦夏樹主任学芸員は「息子の行動にショックを受けたのだろう。書くのがはばかられたのかもしれず、複雑な思いが読み取れる」と話す。日記は、緊迫した状況と一見無関係の出来事を多く記した。高知県香南市の安岡家で保管され、一般公開はしていない。(共同通信社)

5 Responses to 土佐藩士の日記

  • 吉田東洋を暗殺した犯人の中に自分の身内が入っていたら、そりゃあ冷静ではいられませんよねぇ。
    でも、こういった日記が残されているというのは、嬉しいですね。
    御子孫の方には、今後も大切に守っていって頂きたいです。

  • あさぎさま
    コメントをありがとうございます。
    地方に行けば、結構、こういうお宝が残っていると聞きます。
    高知の日曜市で、誰か知らない昔の手紙を買ったら、幕末の志
    士の誰てしたか、龍馬だったかも、、、の手紙だったと
    耳にしたことがあります。
    昔の手紙といっても、読めませんからね。
    勉強しないといけないですよね。

  • 神戸の松平こと「うは」です。(笑うとうははと聞こえるのでそんなあだ名が。)
    トップページのブログだけでも大変読み応え、見ごたえがあり、ゆっくり拝読したいとこですが、昼は家事と職探し、こどもが寝るときに私も爆睡してしまうことが多く、たまに夜中に起きて、保育所のおたより帳を書きつつ、こうして拝読できる時を楽しみにしております。
    「世に生を得るは事を成すにあり。」これはどなたのお言葉でしょう?素晴らしい。私はまだこれといった座右の銘に出会ってないのですが、周恩来首相が日中国交正常化のとき言った、「徳をもって恨みに報いる」が感銘を受けた言葉第1位になってます。。私は左でも右でもないのですが、これだけは感動しました。多分、中国の古典だとは思いますが・・・。

  • うはさま
    コメントをありがとうございます。
    毎日、大変ですね。家事も疲れるのです。
    たいしたことがないブログです。
    お褒め頂きまして、恐縮しております。
    「世に生を得るは事を成すにあり」この素晴らしいお言葉は
    私のです、と言ったら、袋叩きに遭うでしょう。
    坂本龍馬殿の言葉です。
    司馬遼太郎がどうして、「竜馬がゆく」を書いたのか、、
    当時の資料を読んでいると、坂本龍馬という名前が
    度々出てきた、、、坂本龍馬とはいかなる人物か、
    ということで興味を持ち始めたということだったそうです。
    やはり、龍馬は多くの幕末の志士達に影響を与えたのですね。

  • 戊辰研の八重子です。戊辰研よりきました。
    土佐藩士のことがのっていたので。
    3月に京都、5月に東京にいきました。二度とも龍馬関連で。
    特に龍馬伝での平井収二郎の辞世の句は爪でかいたということなのですが、大体来場者の方はそこにほとんど張り付いていて、私も当然張り付いたのですが、あれはかなり胸にせまるものがありました。思想は違えど、みな国を想う気持ちは同じなわけで、国を真摯におもいながら生を終えなければならなかった平井氏のつらい心情が伝わってくる展示でした。
    美智子様のブログを拝見していたら、あのときのことをまた思い出しました。

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