みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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赤穂浅野家の屋敷跡に建てられた氷川神社
へ向かい、本殿前で全員集合の記念写真を写しました。
実はこの神社、忠臣蔵と関係が深いのです。
元禄14年(1701)に江戸城松の廊下事件を起こした
赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩の妻、遙泉院の実家であり
内匠頭の切腹後、余生を過ごしたとされる三次藩浅野家
の下屋敷がこの場所にありました。夫も妻も浅野姓ですが、系譜をたどると、どちらも
豊臣五奉行の筆頭、浅野長政にたどりつきます。ご存知の通り、赤穂藩浅野家はお取り
つぶしになりましたが、広島藩の支藩である三次藩浅野家も跡継ぎに恵まれず、
享保5年(1720)に藩自体が断絶となりました。そして、享保15年(1730)、主
がなくなったこの屋敷地に、8代将軍徳川吉宗が社殿を建立して他の土地にあっ
た宮を移し、今の赤坂氷川神社となったのだそうです。境内には浅野家の悲劇を
見つめてきた樹齢300年を超える銀杏の巨木があります。その他、古い社殿、楼
門、なぜか3対も4対も鎮座する狛犬、同居する複数の稲
荷神社、大小多数の鳥居……そこらじゅうに神霊やら妖怪やらが潜んでいそうな
気配がします。都会の喧騒から、一気に時間を超越し不思議な世界に迷い込んで
しまったような感覚が想像力を刺激するのです。

4 Responses to 江戸史跡巡り、「赤坂氷川神社」

  • 氷川神社は、中へは入った事がありませんが、車窓から見た事はあります。
    >都会の喧騒から、一気に時間を超越し不思議な世界に迷い込んでしまったような感覚
    そこへ行けば、ホッと出来そうですね。
    因みに、一つ下の記事にも以前、コメントさせて頂いたのですが、反映されていない様子。
    もしかしたら上手く投稿出来なかったのかも知れませんね。

  • こんにちは、初めてコメントさせてもらいます。
    氷川神社の歴史をありがとう。
    大変、勉強にならせてもらいました。
    僕は、四国に住んでいますが、一度は、氷川神社
    行って見ようと思います。

  • >あさぎさま
    ご心配をおかけしました。
    私の方のポカでした。
    氷川神社、良かったですよ。
    大きな銀杏の木もあり、都会のオアシスでした。

  • >龍平さん
    はじめまして、宜しくお願い致します。
    氷川神社、是非、訪問して下さい。

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