みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

月別アーカイブ

Monthly Archives: 12月 2010

IMGP1190.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は、最近できた「土佐藩住吉陣屋跡」の碑です。
ここは巡っていませんが、龍馬の大坂史跡として
大阪にもやっと1つ、龍馬の石碑が建ちました。

省略した場所の方が多かったですが、目玉の史跡をご紹介しました。
参加して頂いた25名の皆さん、ありがとうございました。

また、来年も全国の史蹟巡りをしたいです。
みなさん、ご一緒して下さいね。

では、良いお年をお迎え下さい。
来年も宜しくお願い致します。

江戸時代からの石段013.jpg

次に、呉服商「岩城升屋」の跡を目指します。

山南と土方が激戦の末に 不逞浪士を撃退した岩城升屋事件の現場です。
江戸にも支店があったほどの大店は、わずか140年で、
きれいに消え去っていました。

そして、新撰組の定宿、近藤勇のパトロンでもあった、船宿・京屋忠兵衛跡

のすぐ横には、 画像の石段があります。

貴重な江戸時代の、右上のつないだ跡がかわいいです。

鍋島河川039.jpg堂島の裁判所は、佐賀藩蔵屋敷跡でした。

 真新しい銘板が建てられていました。

裁判所の建物が、屋敷とだぶります。

当時も、このような立派な建物が建ち並んでいたことでしょう。

このあたり、若い頃、画廊巡りでよく通った場所です。

その前は、鍋島河岸という夕涼みの名所でした。
今でも、石段が残っています。川は淀んでいましたが、当時が偲ばれます。
堂島川の上には高速道路、、川の上だと立ち退き費用が掛からないのです。

 

1浪速 1IMG_0001.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史跡巡りは京都だけではありません。
大阪にも、京都に匹敵するほどの史跡が埋もれていました。

12月5日は大阪史跡巡りの達人に案内して頂き、
なんと、3日分の行程を一日で消化した、2万歩の強行軍でした。

水の都「大坂」は、30年暮らした私の故郷でもあります。

 

懐かしい大阪の明治初期の画像です。

 左上の現在の道頓堀と比べて見て下さい。

140年のタイムスリップができます。

 

まずは、大阪天満宮に向かいました。天満宮の門は幕末当時からありました。
ということは、この門の下を近藤勇が土方が通ったということです。

京都には京都守護職屋敷門が現存していますが、大阪にも新撰組が通った門はあったのです。

 

 

読書 CIMG1274.jpg 

幕末物とはちょっと離れての文庫・新書のご紹介です。

 

「徳川秀忠とお江」、星亮一・著、学研M文庫 629円+

 

 来年の大河ドラマ、この一冊でお江のすべてを掴めます。流れるような文章が大変読み易いです。

 

 「宮沢賢治 あるサラリーマンの生と死」、佐藤竜一・著、集英社新書、680+税、

 

  宮沢賢治、知られざるセールスマンの日々!生活者として必死に生きようとしたサラリーマン・賢治が浮かび上がってくる一冊!

 

 「遥かなる未棟踏峰」、ジェフリー・アーチャー・著、新潮文庫

 

  昔、海外の推理小説にはまっていました。今回は、スカーぺッタ・シリーズから少し離れて、ジェフリー・アーチャー。人生の途上でとてつもない困難と出会った時、どう立ち向かっていくのかというテーマ。

 

 「十五万両の代償 十一代将軍家斉の生涯」、佐藤雅美・著、講談社文庫、857+

 

  いろいろと逸話の多い家斉、江戸の黄金時代は、いかに生まれたか。

 

 「戦国時代 人気のウラ事情」 鈴木真哉・著、PHP新書、720円+税、

 

  名将たちのつくられた評判、消された評価とは?

 

 「勝負脳の鍛え方」、林成之・著、講談社現代新書、700円+税、

 

  脳外科の第一人者が贈る強く、しぶとく戦うための処方箋。

 

 「癌では死なない」、ワニブックス、定価760+

 

  医者が教えてくれない本当の癌治しの秘密がここにある!

 

 「どんな病気も温めれば治る!」、石原結實・著、KKベストセラーズ、543+税、

 

 「二酸化炭素 温暖化の崩壊」、広瀬隆・著、集英社新書、700+

 

  温暖化はCO2のせいではないのか、、、

 

 「数字のウソを見破る」 PHP新書、700+税、

 

  健康診断の正常値の根拠は?視聴率の0.1%の違いの意味は?

 

 「日本人へ なぜリスクをとるリーダーが出ないのか」、塩野七生・著、文春新書、850円+税、

 

  人間なら誰でも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない、、、カエサルの言葉。なぜ日本にはカエサルのようなリーダーが現れないのか。危機の時代を生きるためのヒント。

 

蜆橋042.jpg大阪史跡巡りのご報告です。

 2万歩、12キロ歩いてきました。案内して下さった方は、大阪ボランティア・ガイドのお一人でしたから充実した史跡巡りでした。なにより、新撰組が大好きな方でしたので、詳細に、且つ、熱の入ったご説明をして頂けました。

 私自身、長く大阪に住みながら、これほどの史跡が埋もれていようとは、信じられないほど、あちこちに点在していました。多くは、眩しいほどの真新しい銘板が付けられていました。このような銘板を付ける活動を先進的に案内して頂いた奥野さんは活動しておられます。感動するほどのご活躍です。多くは初めての史跡ばかりでしたが、一つだけ、昔から知っていた史跡がありました。

 画像の「しじみ橋」です。川も橋も、既に埋め立てられなくなっています。この碑は、北の新地の入り口に設けられていました。近辺には画廊も多く、画廊を巡るのが好きな私は昔から知っていました。ここに久しぶりに立ち、若い頃、この前を何気なく素通りしていた自分のことを懐かしく振り返りました。奥野さんのご説明文を以下に転記させて頂きます。簡潔で、素晴らしく躍動感のあるご説明です。

 

大坂相撲の力士と大喧嘩

 文久3年(1863)6月3日、鍋島河岸から岸へ上がった壬生浪士一行、北の新地で一杯やろうと、ここしじみ橋へやってきました。現在は埋め立てられていますが、かっては蜆川(曽根崎川とも言います)が流れていました。

 そこで、再び、力士と遭遇し、またもや、もめました。この頃の力士は、攘夷の魁となるべく、八角棒を奉行所からいただき、やる気になっていたようで・・。ここではかなり激しく、力士とやりあったようです。

 その後、この奥の北の新地 住吉楼で飲んでいたところ、大勢の力士が八角棒を手にリベンジにやってきて、大騒動に発展します。力士側には死者2名、負傷者多数が出たり、壬生浪士も棒で眉間をたたかれたりと、単なる喧嘩ではすまなくなりました。