みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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蜆橋042.jpg大阪史跡巡りのご報告です。

 2万歩、12キロ歩いてきました。案内して下さった方は、大阪ボランティア・ガイドのお一人でしたから充実した史跡巡りでした。なにより、新撰組が大好きな方でしたので、詳細に、且つ、熱の入ったご説明をして頂けました。

 私自身、長く大阪に住みながら、これほどの史跡が埋もれていようとは、信じられないほど、あちこちに点在していました。多くは、眩しいほどの真新しい銘板が付けられていました。このような銘板を付ける活動を先進的に案内して頂いた奥野さんは活動しておられます。感動するほどのご活躍です。多くは初めての史跡ばかりでしたが、一つだけ、昔から知っていた史跡がありました。

 画像の「しじみ橋」です。川も橋も、既に埋め立てられなくなっています。この碑は、北の新地の入り口に設けられていました。近辺には画廊も多く、画廊を巡るのが好きな私は昔から知っていました。ここに久しぶりに立ち、若い頃、この前を何気なく素通りしていた自分のことを懐かしく振り返りました。奥野さんのご説明文を以下に転記させて頂きます。簡潔で、素晴らしく躍動感のあるご説明です。

 

大坂相撲の力士と大喧嘩

 文久3年(1863)6月3日、鍋島河岸から岸へ上がった壬生浪士一行、北の新地で一杯やろうと、ここしじみ橋へやってきました。現在は埋め立てられていますが、かっては蜆川(曽根崎川とも言います)が流れていました。

 そこで、再び、力士と遭遇し、またもや、もめました。この頃の力士は、攘夷の魁となるべく、八角棒を奉行所からいただき、やる気になっていたようで・・。ここではかなり激しく、力士とやりあったようです。

 その後、この奥の北の新地 住吉楼で飲んでいたところ、大勢の力士が八角棒を手にリベンジにやってきて、大騒動に発展します。力士側には死者2名、負傷者多数が出たり、壬生浪士も棒で眉間をたたかれたりと、単なる喧嘩ではすまなくなりました。

2 Responses to 大阪史跡巡り、その1、「しじみ橋」

  • 「橋はまだあるもの」と思い込んでいた私、、無知でした(^_^;)
    ガイドさんの熱のこもったご案内で、どの史跡を巡っても一日が大変楽しく、とても
    有意義に過ごせました。
    ガイドさんに、みちこさんに、そして参加された全ての方に感謝申し上げます。

  • >あさぎさま
    ご参加、ありがとうございます。
    本当に有意義な史跡巡りでした。
    大阪の新撰組の史跡がこれほど多く
    確定されたのには驚きでした。
    それも、確定されたご本人様のご案内で、
    これほど素晴らしい史跡巡りはそうないですね。
    また、ご参加下さいませ。

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