みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 5月 2011

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 「3.11大震災被災地新聞を支援する会」主催による「東日本大震災”その時、地元新聞は”特別展」が、5月24日(火)から同30日(月)まで1階玄関ホールで開かれます。どなたでもご覧いただけます。是非、お立ち寄りくださいませ。

  米国に寄贈された「石巻日日新聞」の壁新聞や、3.11の津波に遭遇し日本プレスセンターに届いた泥の付着した新聞など、当時の地域新聞が展示されます。必死で取材し報道し続けた地域新聞の記者魂が、この展示会で見ることができます。

無料です。
場所:千代田区内幸町2-2-1
    日本プレスセンタービル1F玄関フロア

5月24日(火)~30日(月)まで
時間:9:00~18:00
http://www.presscenter.co.jp/whats_new/2011/post_21.html

大統院の庭.JPG

さて、5月1日に京都・史跡巡りをして来ました。
京都駅に11時に集合、それからタクシーで一力前にて再集合。
近藤勇も足繁く通ったと伝えられる茶屋一力亭。文久三年(1863)十月十日には公武合体派の会議が一力亭で開かれ、近藤勇も出席して自論を披瀝したそうです。
鴨川踊りに向かう可愛い舞妓はんの列と遭遇しながら、 健仁寺を越え、春の未公開文化財公開をしている大統院へ向かいます。
応挙の幽霊の掛け軸が春季の特別公開となっていました。
撮影は不可ですので、写せませんでした。
応挙だけあって、どことなく、雰囲気があり、上品さが漂っていました。豪商三井
が応挙の主要なパトロンでした。当時、応挙の弟子は千人いたそうです。 画像の庭は、その掛け軸の幽霊が毎日見ているであろう大統院の素晴らしいお庭です。
 
それから、すぐ近くの六道珍皇寺へ。
六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の迷界をいい、寺前に石標があるのですが、その地点は、六道の分岐点。いわばこの世と、あの世を結ぶ交差点に当たると言われています。
このような伝説が生れたのは、小野小町の祖父・小野篁(おのたかむら)の地獄行きの伝説です。京都では、盂蘭盆会前の8月7日から10日までの四日間、先祖の精霊を家に迎えるため、六道珍皇寺へ参る風習があります。これを「六道まいり」といいます。冥土への入り口にしたといわれる井戸(「冥途通いの井戸」と称している)があるのです。その井戸の特別公開を見学しました。霊感が強いと言われているタレントのはるな愛が井戸の近くまで来て失神した、、と現場の説明もありました。確かに、、何か、ありそうです。 
     
それから、幽霊の飴を買いに寄り道。
安祥院(京都府京都市東山区五条通東大路東入ル遊行前町)には、梅田雲浜の墓を見学。
その近くにある若宮八幡宮(東山区五条通東大路西入北側)にも寄りました。
ここに孝明天皇胎盤が祭られています。
清水寺参道のイノダコーヒーで休憩して、霊山へ、龍馬・慎太郎の葬送の階段を見つつ、霊山へ到着。 
霊山歴史館の新選組展を見学しました。円山公園を登り切った長楽寺では、「日本外史」で有名な頼山陽の墓へ。
他には、頼三樹三郎父子、水戸藩の原市之進、鵜飼幸吉父子らの墓があります。原市之進は、平岡正四郎が暗殺されたあと、一橋慶喜の片腕となって兵庫開港のため尽力しましたが、暗殺されました。慶喜は原の死を悼み、長楽寺に手厚く葬りました。鵜飼父子は安政の大獄で捕らえられ死刑にされました。頼三樹三郎も、池内大学、梅田雲浜、梁川星巌らとともに「反逆の四天王」と呼ばれ、やはり安政の大獄で捕らえられ落命しています。

それから、四条で親睦会を開き、福島・白河からの参加者Sさんからビッグなサプライズ(一人・お米二合)があり 、総勢17名の楽しい京都史跡巡りでした!
福島・白河米、美味しかったです!
 
がんばれ、東北、福島!