みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 6月 2011

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ただ今、発売中の、
「別冊一個人7月号増刊」に
(KKベストセラーズ 定価780円)
甦れ!美しい東日本と題されたグラビア、
若松城の威容と、白虎隊が象徴する不屈の会津魂
「鶴ヶ城」!     
監修・文に、星亮一先生が掲載されています。
どうぞ、ご覧くださいませ。

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 京都の史跡巡りで度々、丸太町の京都女紅場(にょこうば)跡を訪れていました。
女紅場とは今でいえば女学校のことでしょうか。
大河ドラマになるというので、今日、新島襄の伝記を読んでいましたら、
八重子殿がここで教鞭をとっていたことをはじめて知りました。

新島旧宅は見学したことがありますが、彼女の職場を新たに知ると
線で繋がり、八重子殿が動き出して、微笑ましい気持ちとなりました。

2013年は福島で盛り上がりますから、
私達も会津・戊辰戦争の勉強を更に深めたいものですね。

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NHK、13年の大河は福島が舞台 新島襄の妻が主人公.
 
 NHKは2013年に放送する大河ドラマの主人公を、福島県出身で、同志社大学を創設した新島襄の妻、新島八重(1845~1932)にすることを決めた。東日本大震災で当初の予定を急きょ変更、震災関連プロジェクトの一環として、福島を舞台にした作品で「被災地を元気づけたい」としている。
 
 八重は、兵学をもって会津藩に仕えた家に生まれた。戊辰戦争では自ら銃を取って戦ったとの逸話を持ち、その豪傑ぶりから「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる。
 
 維新後は京都に移って教育に従事し、襄と結婚。日清・日露両戦争では自ら望んで看護師として働いた。 (朝日新聞   2011年6月12日) 

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 南三陸、大川小学校、女川、女川原発(門前のみ)、石巻湊地区、鹿妻地区 、そして仙台若林区、名取、を二泊三日で廻って来ました。
雨が降り、ほとんど残骸は片付けられていて見渡す限り更地でした。 人っ子一人いず、自衛隊と他府県から来た警察が駐屯しているだけでした。 今だ、自衛隊が野営をしていて、復興はまだまだという感じでした。

まず、南三陸町職員、遠藤未希さんが最期まで防災放送を続けた防災対策庁舎に向かいました。防災庁舎は鉄骨の骨組みだけ残っています。その建物の屋上で写された津波の最中のすごい画像はネット・ニュースで見ましたが、埠頭に立っている様な感じです。その下のことを思うと、津波の破壊力が如何にすごいか、、言葉に絶します。 涙で、合掌しました。

そして、108名の全児童の7割が亡くなった大川小学校に向かいました。 二階建てで、すぐ近くに北上川とその支流が流れていて、水位が校舎の一階を超えています。 通常でもこれですから、教員の誘導による人災と言われていますが、こんな場所に校舎を造ることが間違いだったのではないのでしょうか。 学校前の橋を通って避難しようとしていましたが、橋、自体が持たず 1/3は流れていました。
児童の一人は、沖縄まで流れて発見されました。
学校の名前が書かれたヘルメットで分かったそうです。
心から、教員のみなさま、児童のみなさま、ご冥福を祈ります!

この画像は、松林から津波が押し寄せてきた仙台若林区です。NHKのニュースで目に焼き付いています。小高い丘に鎮魂碑が造られていました。 高い建物はありませんから、逃げられる所は皆無だと分かりました。夥しい方々の不明者・被災者がでた所です。

地元の方の報道されていない貴重なお話もお聞きして、復興への支援と 被災者の方々の無念を噛みしめて、二度とこの悲劇が繰り返されないように祈りました。

心より、亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
そして、全てを無くされた被災者の方々が、お元気になられて、早く落ち着いた生活に戻られますように心より願っております。