みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 12月 2011

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「幕臣たちの誤算」、感想文です。

幕末の人物像の集大成と言える本です。人間関係を簡明に見事に描き切っている作品だと思いました。何度読んでも、面白く読めます。幕末の教本の一冊ではないでしょうか。

文中にある「いかに優れた幕臣がいても、指導者に強力なリーダーシップがなければ、改革を推進していくことはできない。そのリーダーに目された人物が十五代将軍、徳川慶喜であった。」は、真にその通りだと思います。リスクを取る指導者が現れなかったことが幕府滅亡の要因ですが、命乞いをする慶喜の醜態は私には理解できませんね。将軍職に就く段階で、覚悟を決める必要があったでしょう。それだけに、慶喜は信用のおける人物ではないと思います。

しかし、幕臣たちは頑張りました。
小栗上野介や阿部正弘らはリスクを被りました。
海舟はリスクを取る代わりに、西郷を後ろ盾にして上手な世渡りを実践しました。福沢諭吉は、政治の世界には白けた表情を向けてわが道をいきました。残念ながら、薩長と比べてリスクを被ったリーダーは幕臣には少なかったように思います。

星先生は、慶喜の評価は分かれる所としていますが、
この期に及んでも彼がリスクを被らなかったことは、徳川宗家の管理者として、
また人間として失格です。
この本を読んで、こんな具合にいろいろと考えてしまいました。
面白い本です。
みなさんも、お読みになって下さいね。

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京都西本願寺の北集会所を移築した姫路の亀山本徳寺へ行って来ました。
 

1865年(慶応元年)3月から、新選組は隊士も百数十名と増加したため、壬生から、より広い大広間等がある京都西本願寺「北集会所」に移りました。当時、西本願寺は、長州藩内に信者数が多かった関係で、勤皇僧がいたり、蛤御門の変の長州藩落ち武者も、ここから落ち延びたとされ、同寺内には勤皇方勢力が増大しつつありました。それで、新選組は、その威圧と、市中取締りの活動拠点として西本願寺に移ったというわけです。
 
幕末、この建物は、立替の為解体されましたが、時を同じくして、同寺と同宗派の姫路市内にある亀山本徳寺が、明治元年(1868年)に本堂が火災を起こしました。それで、本徳寺再建の材料として、解体して保管してあった西本願寺の材木を、本徳寺に送ったのです。出来るだけ材木に手心を加えたり、加工する事無く、本願寺北集会所と同様に再建しました。そのため、刀痕等も当時そのままに残りました。刀痕は、本堂内部のいずれの柱にも残っています。画像は、本堂の廊下に面した物です。迫力がありました。 

 

亀山本徳寺  アクセス
兵庫県姫路市亀山324番地
山陽電鉄 亀山駅から東へ200m
神姫バス 西亀山バス停下車、東へ300m 94系統 姫路駅 ←→ 姫路港

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居住地の倉敷駅前に、やっと大型書店が戻ってきてくれました。
 
開店すぐに購入した本です。
☆星亮一先生のベストセラー「幕臣たちの誤算」、青春文庫(税込み600円)数年前、新書で出ていたのを読みました。今回の文庫は、それにプラスされた内容です。お勧めです!!
☆「別冊宝島 いい国つくろう、何度でも。」宝島(980円)
☆海音寺潮五郎・著、「田原坂」小説西南戦争、文春文庫(税込み750円)この本は持っていましたが、60年ぶりに発見された未発表原稿『戦袍日記』が収録されているので買いました。『戦袍日記』とは、薩摩軍の小隊で指揮官を務めていた男の日記が辿った話。
☆「スカイツリー、東京下町散歩」、カラーで楽しめる一冊です。開店早々で、記念品として、トートバッグと小学館謹製の一筆書きの2点を頂戴しました。
 画像は、その店内の奥にある人文・芸術売場コーナーの「ガリレオの泉」です。テーブルと椅子が設置され、座ってゆっくりと読書ができる気の利いた広いスペースです。そこに、「戊辰戦争を歩く」と「新選組を歩く」が本棚にありました。嬉しかったです!!