みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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京都西本願寺の北集会所を移築した姫路の亀山本徳寺へ行って来ました。
 

1865年(慶応元年)3月から、新選組は隊士も百数十名と増加したため、壬生から、より広い大広間等がある京都西本願寺「北集会所」に移りました。当時、西本願寺は、長州藩内に信者数が多かった関係で、勤皇僧がいたり、蛤御門の変の長州藩落ち武者も、ここから落ち延びたとされ、同寺内には勤皇方勢力が増大しつつありました。それで、新選組は、その威圧と、市中取締りの活動拠点として西本願寺に移ったというわけです。
 
幕末、この建物は、立替の為解体されましたが、時を同じくして、同寺と同宗派の姫路市内にある亀山本徳寺が、明治元年(1868年)に本堂が火災を起こしました。それで、本徳寺再建の材料として、解体して保管してあった西本願寺の材木を、本徳寺に送ったのです。出来るだけ材木に手心を加えたり、加工する事無く、本願寺北集会所と同様に再建しました。そのため、刀痕等も当時そのままに残りました。刀痕は、本堂内部のいずれの柱にも残っています。画像は、本堂の廊下に面した物です。迫力がありました。 

 

亀山本徳寺  アクセス
兵庫県姫路市亀山324番地
山陽電鉄 亀山駅から東へ200m
神姫バス 西亀山バス停下車、東へ300m 94系統 姫路駅 ←→ 姫路港

6 Responses to 姫路 亀山本徳寺

  • 行ってこられたんですね!
    私も以前、ここへは行ったことが有ります(^^)v
    刀傷、ありました、ありました!
    本堂前の板の間を、「ここを新選組も歩いたのかな」と思いながらしみじみと見つめた記憶があります(^_^;)

  • >あさぎさま
    行かれたのですね。
    私はやっと行くことができました。
    本堂内部にもドヤドヤと入り込み、すべての柱を
    チェック、画像に映しまくりでした。
    貴重な体験をさせて頂きました。
    この柱は近藤勇や土方が見ていたのですね。
    私達も目にすることができました。
    亀山本徳寺さま、ありがとうございました!

  • みちこさん
    お久しぶりです。
    亀山本徳寺、行かれたのですね。
    僕もきっとそのうち行きますよ。
    刀疵、見たいですからね。
    アップの画像をありがとうございます。
    やはり本物の刀疵は、迫力が違いますね。

  • >石田さま
    お久しぶりです。
    お元気なご様子ですね。
    本徳寺、是非、おいで下さいね。
    石田さまのような新撰組オタクは
    絶対に行かないといけない場所ですね。

  • みちこさん、こんにちは!
    亀山本徳寺の時にご一緒させていただきました準備会のものです。
    ブログに遊びに来させていただくといっておいて、なかなか来る事が出来なくて申し訳ありません、、、
    私は新選組を好きになってまだ3年に満たないのですが、念願の本徳寺に行く事が出来、とても嬉しかったです!!
    頭の中で、あの風景の中に、近藤さん土方さんはじめ隊士が生活してる姿を想像したりしてました(^。^;)
    また行事などでお会いできるのを楽しみにしています♪
    (ブログは夏頃から更新がストップしています・・・)
    あさぎさん、こんにちは♪
    覚えられていますか?
    最近はなかなかブログに遊びに行けなくて残念です(T_T)
    また近いうちにお邪魔させていただきますね(‘∀`)

  • 藍鉄さま
    コメントをありがとうございます。
    楽しい一日をご一緒させて頂きました。
    ありがとうございます。
    実は、私は本徳寺のことを本に書いているくせに
    訪れたことがないという無責任さです。
    画像を本に載せたかったです。
    また、ご一緒しましょう!

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