久留米の驚き、その3 Published 2012年4月28日 | By hosblo01 そして、また久留米には石橋美術館がありました。 あれ、ブリジストン美術館は東京にもあります。 石橋とブリジストン? 頭、こんがらがります。 張り付け式ゴム底足袋(地下足袋)の考案でスタートした、株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎。出身は、久留米だったのですね。社会公共の福祉と文化向上のために、この地、久留米に石橋美術館を開館しました。 その所蔵作品は、東京・京橋のブリヂストン美術館が所蔵する印象派を中心としたヨーロッパ近代美術の名作群と好対をなす日本近代洋画の名作群で、それらを常設展示で紹介しています。そうです、あの青木繁の「海の幸」など名品を観賞できます。 また敷地内には、久留米出身の画家・坂本繁二郎の自宅を移築保存していました。 惜しいことに、急ぎまして見ることは叶わず!!
久留米の驚き、その2 Published 2012年4月18日 | By hosblo01 次の日は久留米市内を歩きました。 なんと、久留米には、尊皇思想家で有名な高山彦九郎の墓があったではありませんか! 三条京阪(京都市)にある高山彦九郎の銅像は有名ですね。 吉田松陰はじめ、幕末の志士に多くの影響を与えた人物です。 なぜ、久留米に高山彦九郎の墓があるの? で、ウイッキペディアで調べてみました。 上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)の郷士高山良左衛門正教の二男として生まれた。13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説く。 京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁した。その感激を詠った次の歌は、愛国百人一首にもとられており、名高い。 我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ 尊号一件と呼ばれる事件に遭遇し、公家中山愛親の知遇を得た事が老中の松平定信など幕府の警戒を呼ぶ。1791年(寛政3年)には九州各地を旅した後に薩摩藩を頼ろうとするが退けられ、一時は豊後国日田において捕縛される。その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)筑後国久留米の友人森嘉膳宅で自刃する。享年46。 志半ばで倒れた高山彦九郎、久留米で手厚く葬られていました。
久留米の驚き、その1 Published 2012年4月9日 | By hosblo01 作家の星亮一先生が、九州で講演されるので、久留米と島原に行って来ました。 「負けるな東北 会津藩に学ぶ復興への道」、垂れ幕が下がっています。息せき切って久留米の会場に辿り着くと、なんと司会は高校生がしていました! 言い直しや言葉に詰まることなく、ゆったりと講演会をまとめて頂けました。 会場に詰め掛けた方々の中には、東北に支援に行かれた方が多く来ておられました。 講演会後の質問コーナーでは熱心な応答が繰り広げられ、久留米で東北の支援の輪が 広がっている、頼もしく思った講演会でした。