みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 6月 2012

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江川邸です。
 明治維新に至るまで、江戸時代の全期を通じて代々徳川幕府の代官を世襲して勤めました。
700年以上にわたって保たれてきたその建物は、1958年、重文になり、1993年に付属する書院、仏間、蔵、門、塀、神社、及び敷地がすべて重文追加となり、2001年4月より、屋敷内と蔵も見学可能になっています。正面の画像は、大河の「篤姫」でロケされました。覚えておられる方も多いかと思います
 

 36代英龍(1801~1855)江川太郎左衛門英龍(坦庵)の業績です。日本のレオナルドダビンチとも言われています。邸内には彼が描いた絵画がたくさん残されていました。彼は蘭学を修め、渡辺崋山や高野長英等と交わり外国の社会事情や国際情勢を知り、日本の置かれた立場を深く憂慮していました。洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させています。パンも日本で最初に焼いたということです。地方一代官でありましたが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たしますが、惜しいことに勘定奉行任命を目前に病死してしまいました。

 坦庵が西洋砲術を教えた塾の間には、韮山塾(江川塾)の塾生名簿が置いてあり、その(有名無名の)人数の多さに感動するばかりです。

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静岡は三島に行っていました。
まずは、韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)から。
幕末の英知を投入して造られた溶鉱炉を目の前にして、うっとりと見ておりました。鉄を水のごとくに溶かす高温の溶解炉をちょんまげを結っていた鎖国の一武人が造るのですから、日本人の頭の良さには感動します。
子供の頃、ジュースをコップに入れ、割り箸を立ててアイスキャンディを作ろうと苦労したことをなんだか思い出していました。できそうでできない、難しい技術だったと思います。反射炉とは、熱を天井の局面で反射させ、収束させて鉄を水のように溶かす。その高温を達成したのですが、その技術理論を理解していたとは日本人てすごいですね。なんて、反射炉を見上げながら考えていました。
 
実物はやはり圧巻でした。
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高さ16メートル、色調、材質の分類で、7~8種類の煉瓦が使われているそうです。
炉内の天井で熱を反射させ、千七百度あたりまで温度を上げ金属を溶かす。
煙突・炉体の揃った遺構は、世界でも唯一ここだけのもの、世界遺産になること
を願うばかりです。

k 43DSCF0055.JPG市内に戻り、町中にある島原城へと向かいました。

城の前にある売店のお小姓スタイルのお姉様に一枚ポーズを付けて写させて頂きました。

格好良かったです。

いろいろとお城を巡りますが、このように仮装をしてもてなしてくれるのは珍しいと思います。

城の中には天草四郎に扮したお兄さまもいました。

タイムスリップをしたような楽しいひと時を過ごさせてもらえました。