みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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江川邸です。
 明治維新に至るまで、江戸時代の全期を通じて代々徳川幕府の代官を世襲して勤めました。
700年以上にわたって保たれてきたその建物は、1958年、重文になり、1993年に付属する書院、仏間、蔵、門、塀、神社、及び敷地がすべて重文追加となり、2001年4月より、屋敷内と蔵も見学可能になっています。正面の画像は、大河の「篤姫」でロケされました。覚えておられる方も多いかと思います
 

 36代英龍(1801~1855)江川太郎左衛門英龍(坦庵)の業績です。日本のレオナルドダビンチとも言われています。邸内には彼が描いた絵画がたくさん残されていました。彼は蘭学を修め、渡辺崋山や高野長英等と交わり外国の社会事情や国際情勢を知り、日本の置かれた立場を深く憂慮していました。洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させています。パンも日本で最初に焼いたということです。地方一代官でありましたが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たしますが、惜しいことに勘定奉行任命を目前に病死してしまいました。

 坦庵が西洋砲術を教えた塾の間には、韮山塾(江川塾)の塾生名簿が置いてあり、その(有名無名の)人数の多さに感動するばかりです。

4 Responses to 静岡・三島史跡めぐり、江川邸

  • 関東に来られていたのね。
    ご一緒できたら良かったけれど。
    楽しまれて良かったです。
    江川邸は有名ですね。

  • 篤姫は欠かさず観ていましたが、こちらは覚えてません(^_^;)
     
    当時のまま、なのですね?
    感動です!
    色々難しい事もあるでしょうけれど、こういった建物は、今後も是非、遺していって欲しいものです。

  • コメントをありがとうございます。私は江川邸、知らなかったんです。幕末の名だたる志士たちが訪れていたのですね。今度は、是非、お会いしたいですね。

  • >あさぎさま
    コメントをありがとうございます。
    私は、この場面はバッチリ覚えていたのです。お腰入れの場面で、京都の公家宅になっていました。当時、どこの建物なんだろうと思っていましたので、今回、訪問できてラッキーでした。

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