みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 8月 2012

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25(土曜)に日帰りで東京に出ていました。


11時前に東京に着き、以下を見るため、半蔵門へ急ぎます。


●「下岡蓮杖の世界」~150年を遡る幻の古写真~

http://www.jcii-cameramuseum.jp/


 

鑑賞後、史跡巡りです。

コースは、約2時間、萱野権兵衛の最期の行程を辿りました。


麻布十番→竜源寺(萱野の幽閉先久留米藩上屋敷北門辺り) →綱町三井倶楽部→綱坂→三の橋→古川沿いの道(旧新堀端 現明治通り)→四の橋→光林寺→天現寺
橋交差点 →広尾公園(萱野権兵衛終焉の地
旧保科藩下屋敷)


画像は、史跡巡りの途中で通った「明治坂」です。

 


むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正初年からであると伝える」、と記載されています。  

〇 所
 在  地  港区白金6丁目3と16の間を南に上る


○ 交     通  東京メトロ南北線白金高輪、日比谷線広尾、


                       都営三田線白金高輪    

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先日、倉敷に残る岡山県内では珍しい戊辰戦争の史跡を訪ねて来ました。戊辰戦争は、京都で勃発し、北上してゆきますから、西日本に戊辰戦争の史跡があるのは、珍しいことになります。

この碑は、倉敷市の玉島という港町にあります。

玉島は、明治期までは素晴らしい港でした。物資の集散地として栄え、備中松山藩や岡山藩等の外港としての機能を備えていました。しかし、かつてあったバスターミナルはスーパーの駐車場に変わってしまうなど、映画館や裁判所、劇団まであったという昔の面影は全く失われています。しかし、中心市街地の商店街周辺は港町で栄えた往時の面影を残しており、倉敷市は町並み保存地区に指定し観光地への脱皮と活性化を試みています。

西爽亭は、その保存区にある備中松山藩に仕え、代々庄屋を務めた家です。平成5年(1993)、倉敷市に寄付されました。
次の間で、慶応4年(1868)松山藩家老の熊田恰(くまたあたか)が自刃し、幕末の戦火から玉島を救ったという史実があります。

 


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 拙宅の前に緑地帯があるのですが、そろそろ虫の鳴き声がか細くですが聞こえてくるようになりました。いよいよ、秋近しですね。

 

 読みたい本を並べてみました。