みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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 画像の墓碑は、東京都港区南麻布四丁目の光林寺にある「ヒュースケン」の墓です。

 


 ヒュースケンと言えば、1856年(安政3年)に初代総領事タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳として来日した駐日アメリカ総領事館の通弁官です。オランダ人だったそうですね。両親とともに米国に渡り帰化しています。

 


 1861114日(万延元年124日)に、プロイセン王国使節宿舎であった芝赤羽接遇所(港区三田)から善福寺への帰途、芝薪河岸の中の橋付近で攘夷派『浪士組』所属の薩摩藩士、伊牟田尚平・樋渡八兵衛らに襲われ、翌日死去しています。わずか28歳でした。

 

 幕府はヒュースケンの母ジョアンネに1万ドルの弔慰金を支払って事件を落着させました。ヒュースケンが、
1855年から下田に到着するまでの日本に向う南方航路の印象や、外交折衝や日本での見聞をつづった『ヒュースケン日本日記』(岩波文庫)は、幕末
外交史の貴重な資料となっています。

 

  墓碑の前には、珍しい洋酒が供えられ目を引きます。その他のお供えの品も多く、人気があるヒュースケンです。


 

2 Responses to 東京史跡めぐり、「光林寺」

  • ヒュースケンのお墓、ですか!
    「新選組!」では川平慈英さんが演じておられたのを思い出します。
    しかし、、享年28歳でしたか。。。
    あまりにも早すぎる死、ですよね(T_T)

  • >あさぎさま コメントをありがとうございます。28才、本当に若かったですね。生麦事件は今年150周年ですが、殺害されたリチャードソンも28才でした。リチャードソンのご子孫の方が記念に来日してくださいましたが、あんな悲惨な殺され方をして、、わざわざ来日して下さり、ありがたいことです。

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