みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 10月 2012

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御所の右横にある、新島襄の邸宅を見学しました。
新島襄邸は、来年末まで、FAXかネットでの予約制となっています。
これから大勢の人が押し掛けるのでしょうね。


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この邸宅は新島襄の私邸で、ボストンの友人J.M.シアーズの寄付によって建
てられました。 この場所は同志社英学校が開校したさいに仮校舎として借家し
た高松保実邸の跡です。外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造り
の基本は和風寄棟住宅です。間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出さ
せる旧来の真壁造りとなっています。床が高く、三方にべランダをめぐらし窓に
は鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。 設計
者・施工者とも明らかではありませんが、当時の同志社教員で医師・宣教師でも
あったW.テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。
日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、
同志社創立者の旧居として価値が高く、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化
財に指定されました。  同志社大学HPより


 


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916()、作家の星亮一先生と22名のみなさんで、新島八重の京都を巡ってきました。
残暑がきつい中、最後まで歩き通されてお疲れ様でした。私は、ある事情で、行程の1/3はパスしました。このコースはいつも廻っているのですが、やはりみなさんと最後まで歩きたかったです。

 さて、いつものように京都駅の中央改札口前で集合し、地下鉄で今出川駅まで移動、御所の北に出ると、その前は同志社大学、薩摩藩邸跡の碑が大学入り口正門脇に鎮座しています。薩摩藩京屋敷は幕末までの間、転々と藩邸を移動していましたが、1863年(文久3)島津久光が上洛後に上京区の相国寺南の二本松に新屋敷を設け、明治以後、二本松邸は同志社大学の敷地となりました。何故、同志社大学の敷地となったかは、光人社の「新島八重を歩く」を是非、お読みくださいませ。

 薩摩藩邸は、本邸が錦小路東洞院の「錦小路藩邸」、伏見下板橋通に「伏見藩邸」、小松原薩摩藩調練場の一角に勤番屋敷がありました。 二本松薩摩藩邸は、島津家と関係の深い近衛家の屋敷(京都御苑内)と向かい合うように建っていました。御所の北側にあった武家屋敷には、御付武家以外では、この薩摩藩の藩邸のみがあり、敷地の広さは5805坪、近くには西郷隆盛邸や薩摩藩
家老 小松帯刀邸もあったといわれています。

 

 

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平成25年度のNHK大河ドラマは、「八重の桜」です。


「篤姫」の時と同様、高視聴率を獲得するものと思われます。

新島八重は、多くの人たちに感動と勇気、そして、希望を与えました。 八重の実践した様々な業績を振り返り、私たちが全国を歩き、 一冊の本になりました。



是非、お読みくださいね。

単行本: 300ページ
出版社: 潮書房光人社
(2012/10/9)

言語 日本語
ISBN-10: 4769815301
ISBN-13: 978-4769815303
発売日: 2012/10/9


定価 2500(税抜)