みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 6月 2014

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あさくらゆう先生からお知らせを(画像とも)頂きました。平成21年に新宿区議会に陳情された案件の碑が、今年の4月に、建立されていたとのことです。ひとつの区切りが出来たと安堵されておいででした。おめでとうございます。その陳情文を拝読し、感激しております。是非とも、拝見しに行きたいものです。

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幕末動乱のなか、幕府側の一員を担った新選組の人気は新宿区において「試衛館跡」碑が建立されたほど周知の通りである。この新選組の隊士のなかで特に有名なのが沖田総司である。
沖田の人気は平成の現在に至っても定着した人気を持ち、菩提寺は港区元麻布3丁目にある専称寺である。同寺には沖田総司を偲び、民間団体が主催し、年に1回参拝ができる「総司忌」には常時百名以上が参拝に訪れている。その逝去した場所はいくつかの文献から貴区内に存在する大京町29番地に居住していた柴田平五郎邸内である。そのため沖田総司を偲ぶファンの多くはこの地域に来訪し、生前の沖田総司を偲んでいるが、碑もないことから来訪者が困惑しているケースを聞知している。そのため、来訪者のために標題の碑の建立を願うものである。

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手代木直右衛門勝任(てしろぎ かつとう)、命日が6月3日でした。享年79、今年はちょうど没後110年。
岡山区長を勤め岡山市で没しています。先日、岡山新撰組のツアーでやっと墓参
ができました。見晴らしの良い場所に眠っておられます。晩年、遺書に手代木は
弟の佐々木が近江屋事件を行ったと語っていますね。会津から岡山に、とうとう
会津に帰らずに異郷の地で眠る会津藩公用人、当時を語ってもらったら、きっと
新事実が続発でしょうか。

父は会津藩士。伯父の手代木勝富(家禄150石)の養子となる。
京都見廻組組頭・佐々木只三郎は実弟。会津藩が京都守護職を務めていた際、手
代木は公用人として京に赴任し、朝廷、幕府、諸藩との連絡調整にあたった。新
撰組にも影響力を持っていたという。京の治安回復に努め徳川慶喜から金、服地
を賜っている。戊辰戦争において会津若松城に篭城。若年寄に昇進した。敗勢が
つのる中、手代木は藩命により秋月悌次郎とともに城を脱出。米沢藩に赴き、降
服の仲介を依頼した。米沢藩の協力で官軍首脳の板垣退助、伊地知正治に降服申
し入れを行い会津戦争は終結した。
長女の初は後に、新島八重の養女となっている。