手代木直右衛門勝任(てしろぎ かつとう)、命日が6月3日でした。享年79、今年はちょうど没後110年。
岡山区長を勤め岡山市で没しています。先日、岡山新撰組のツアーでやっと墓参
ができました。見晴らしの良い場所に眠っておられます。晩年、遺書に手代木は
弟の佐々木が近江屋事件を行ったと語っていますね。会津から岡山に、とうとう
会津に帰らずに異郷の地で眠る会津藩公用人、当時を語ってもらったら、きっと
新事実が続発でしょうか。
父は会津藩士。伯父の手代木勝富(家禄150石)の養子となる。
京都見廻組組頭・佐々木只三郎は実弟。会津藩が京都守護職を務めていた際、手
代木は公用人として京に赴任し、朝廷、幕府、諸藩との連絡調整にあたった。新
撰組にも影響力を持っていたという。京の治安回復に努め徳川慶喜から金、服地
を賜っている。戊辰戦争において会津若松城に篭城。若年寄に昇進した。敗勢が
つのる中、手代木は藩命により秋月悌次郎とともに城を脱出。米沢藩に赴き、降
服の仲介を依頼した。米沢藩の協力で官軍首脳の板垣退助、伊地知正治に降服申
し入れを行い会津戦争は終結した。
長女の初は後に、新島八重の養女となっている。
コメントを残す