みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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今回、対馬に行くことになったのは、対馬名誉島民第一号、郷土史研究家、永留久恵先生にお会いすることでした。1920年のお生まれですから、今年94歳、お元気でいらっしゃるのだろうかと先生のお宅にお邪魔しました。その時の、歴史作家の星亮一先生との画像です。玄関から入って直ぐ左にある先生の書斎は本で埋め尽くされていました。ご高齢にもかかわらず、ご返答は支障がなくお元気そのものでした。永留先生は、真珠湾攻撃作戦に従軍、その後、戦艦霧島、空母飛龍へ、ミッドウェー開戦に参戦し、九死に一生を得て日本に帰られます。その後、学校教員になられ、多くの書籍を書かれておられます。淡々と語る永留先生、少しの時間でしたが、お会いでき、お話ができて良かったです。泊ったホテルのロビーカウンターや、書店は勿論、対馬空港売店お土産店にも至る所に永留先生の本がありました。島民の皆さんの誇りですね。

永留久恵

1920年対馬上県郡に生まれる。1940年長崎師範学校卒業。対馬で小・中学校教員、校長を歴任。1976年退職。長崎県立対馬歴史民俗資料館建設準備委員。1978年県立対馬歴史民俗資料館開館、同館研究員となる。1990年退職。「芳洲会」を結成。会長に就任。雨森芳洲の交隣精神を顕彰、日韓友好親善に活動し、現在に至る。受賞は1988年長崎新聞文化賞受賞。1996年西日本文化賞受賞。1998年文部大臣表彰。

主な著書に

『古代史の鍵・対馬』(大和書房1975)

『対馬の文化財』(杉屋書店1978)

『古代日本と対馬』(大和書房1985)

『海神と天神』(白水社1988)

『対馬古代史の研究』(名著出版1991)

『対馬の歴史観光』(杉屋書店1994)

『海人たちの足跡』(白水社1997)

『雨森芳洲』(西日本新聞社1999)

『海童と天童―対馬からみた日本の神々』(大和書房 2001)

『太平洋戦争の追憶』 真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦(交隣舎出版企画 2012)

『盗まれた仏像-対馬と渡来仏の歴史的背景 』単行本(交隣舎出版企画 2013)

『ヤマトとカラの狭間で』 (対馬国志 第1巻)(交隣舎出版企画 2014)

『武門の興亡と対馬の交隣』 (対馬国志第2巻)

『戦争と平和と国際交流 』(対馬国志第3巻)

2 Responses to 対馬、名誉島民の永留久恵先生のこと

  • 永留先生の新盆安らかにとお祈りいたします過日對馬北部比田勝でお会い致しましたのが最初で最後となりましたがあの折に先生の著書の本持参してましたら一筆何か書いて頂いてましたのに後から残念比田勝の大浦店のテントの下での想いでですタダご子息かな邦彦さんでしたかには名刺を頂いて帰りました對州北部の悪友(向こうは私の事を悪友と言うでしょうね)この盆に對州に行こうかと動いたのですが飛行機、ジエツトフォイル共にダメでフエリーは同伴者が嫌とで中止で次会になりましたお蔭で對州のホテルレンタカーモターボート(浅茅湾)で船旅、釣り等全てキャンセルあぁ大日本帝国海軍の遺構を見損ないました

  • 初めまして、冨谷さま、コメントをありがとうございます。永留先生、またお会いできると再訪を願っておりました。残念です。対馬はこちら岡山からは近い所ですが、やはりなかなか行くことが叶いません。せめてお墓参りでも行かせて頂きたいものです。

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