みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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平成23年には、最後の朝鮮通信使(第12回目:1811年)が来日してから200周年の催しがありました。
朝鮮と日本は古代から交易が盛んに行われていましたが、豊臣秀吉の朝鮮侵略により国交が途絶えてしまいます。江戸幕府(徳川家康)は、途絶えた国交を回復しようとして、対馬藩をなかだちにし交渉を重ねた結果、1607年に朝鮮国王は日本に使節を派遣してきました。これが江戸時代の朝鮮通信使の始まりです。通信使は徳川将軍の代替わりのたびに派遣され、1811年までの約200年間に12回来日しました。漢城(現在のソウル)を出発した使節団は、釜山港出帆のあと対馬を経由して、瀬戸内海を通り江戸(東京)までを5~8ヶ月かけて往復していたようです。対馬藩は、倭館(現在の釜山)でこの使節団を迎え、江戸までの道のり(往路・復路とも)を警護・案内しました。通信使一行は400~500名にも及び、学者・文人・医者・画家などが随行し、詩・書画など文化交流をはじめ学問、海外情報聴取等が盛んに行われたそうです。
通信使が通った江戸までの行程には、今でも様々な史跡や書・伝承文化などが伝えられています。こちら地元の岡山の牛窓にもたびたび朝鮮通信使が訪れています。

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