みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 1月 2015

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 大阪城天守閣のすぐ横にある旧帝国陸軍第四師団司令部庁舎でおいしい昼ランチをいただきました。さしずめ第四師団特製幕の内弁当ってところでしょうか。食事を終えてから、師団庁舎から少し離れたところにある金蔵(きんぞう)を訪ねました。

 金蔵は現存する唯一の徳川幕府の金庫です。金蔵内には幕府が畿内や西国の天領から集めた年貢米を金銀に換金したものや長崎貿易で得たからの収益金、大坂の新地の地子銀、酒造仲間・舟仲間など商人たちの運上銀などが納められていました。広さは93㎡ですから大きくはありません。床はすべて石敷きで、扉は2重の土戸と鉄格子の3重構造になっていて防犯にも防災にも完璧な備えです。金蔵に保管されていた金銀の額は、元禄十六年(1703)の記録では500800億円にもなるといいます。ちなみに保管の金銀が紛失した事件は、少なくとも2件あったことが記録に残っています。そのうちの1件は元文五年(1749)、大坂城を守衛する旗本の中間(ちゅうげん)梶助が金4000両を盗み出した事件です。御用金が盗まれていることはすぐ発覚し梶助は市中引きまわしの上、磔(はりつけ)となりました。

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大阪城を見学するついでに、今まで気になっていた「大阪」の地名の由来について調べてみました。

今回現地を歩いてみてやっと得心がいきました。思っていた通りでした。「大きな坂」からきたという説が私にはしっくりいきます。上町台地の北の端に置かれた石山本願寺は角の2方面が急峻な崖です。物資の輸送は大変でした。陸揚げされた荷物は標高の高い上町台地に向けて「長い大きな坂」を引き上げ、石山本願寺に運び込まれていたようです。この場所が大阪の呼称の発祥の地でした。ただし、土を反す「坂」の字は縁起が悪いとして武士連中から文句が出て「阪」に改められようです。

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今年もよろしくお願い致します。

この絵は福島の友人が作ってくれました。歩くシリーズ三部作も付け加えてもらつて、とても気に入っています。自分で作ってもこれ以上の物は作れません。完璧です。ありがとうございます。