みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 11月 2015

倉敷市の南、玉島港を探索してきました。玉島港に面して元船宿が立ち並ぶ界隈に河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡の碑があります。私が訪れた時は、壊されてすぐの頃でした。もっと早く来れば現存する建物を撮影することができたのにと残念でした。跡地は駐車場となっています。現在もその当時の面影を残す建物が多く残されています。しかし、住む人もなく朽ち果てていくばかりで保存が望まれます。

越後長岡藩家老 河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡

安政6年(1859)越後長岡藩家老河井継之助は藩財政改革の先駆者山田方谷の教えを請う為に玉島港に上陸した。その時泊まった船宿で越後出雲崎の良寛さまを慕い、円通寺へさん参詣し、そのあと高梁へ行ったことが、彼の旅行記「塵壺(ちりつぼ)」に記されているのがこの船宿である。安政6年(1859)逗留 出典「塵壺」より

河井継之助は奥羽戦争で倒れるが、生存であれば明治維新の中で活躍したであろうといわれる逸材で備中高梁の経済を勉強した長岡藩を再興し、新政府としても惜しまれた。(省略)

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「真田丸を歩く」、私も書いております!
よろしくお願いいたします。
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星亮一 編/歴史塾 著
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ISBN978-4-7684-5770-2
歴史ガイド。16年のNHK大河ドラマ『真田丸』放映に合わせ、真田家の本拠信州、真田幸村の奮戦が後世に名高い大阪城一帯から、果ては岡山、秋田まで日本中に広がる真田家ゆかりの地を地図と写真をふんだんに使い案内する。

[著者紹介・編集担当者より]
初代真田幸隆、二代真田昌幸、三代を真田信繁(幸村)と真田昌幸、真田家三代の戦国期における活躍は時代を超え語り継がれている。真 田家三代の何が長きにわたり人びとの心をとらえ続けてきたのか、彼らが戦国の世を生きた中で残した足跡を追うことで明らかになってく る。また真田家では大坂の陣における信繁(幸村)の奮戦と討死が有名だが、真田家は戦国期を乗り越え近世大名として生き残っている。 その生存戦略も見えてくる。