みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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倉敷市の南、玉島港を探索してきました。玉島港に面して元船宿が立ち並ぶ界隈に河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡の碑があります。私が訪れた時は、壊されてすぐの頃でした。もっと早く来れば現存する建物を撮影することができたのにと残念でした。跡地は駐車場となっています。現在もその当時の面影を残す建物が多く残されています。しかし、住む人もなく朽ち果てていくばかりで保存が望まれます。

越後長岡藩家老 河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡

安政6年(1859)越後長岡藩家老河井継之助は藩財政改革の先駆者山田方谷の教えを請う為に玉島港に上陸した。その時泊まった船宿で越後出雲崎の良寛さまを慕い、円通寺へさん参詣し、そのあと高梁へ行ったことが、彼の旅行記「塵壺(ちりつぼ)」に記されているのがこの船宿である。安政6年(1859)逗留 出典「塵壺」より

河井継之助は奥羽戦争で倒れるが、生存であれば明治維新の中で活躍したであろうといわれる逸材で備中高梁の経済を勉強した長岡藩を再興し、新政府としても惜しまれた。(省略)

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