みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 5月 2016

大阪商工会議所(大阪市中央区本町橋2-8)の横(敷地内南側)に初代会頭の五代像があります。左から五代友厚像、土居通夫像、稲畑勝太郎像です。

土居通夫

1837-1917 明治-大正時代の実業家。天保8年生まれ。宇和島藩士の子。維新後,司法官をへて明治17年鴻池家の顧問となり財界に入る。大阪電灯,長崎電灯,京阪電鉄などの社長を歴任し、27年衆議院議員。28年大阪商業会議所会頭。

稲畑勝太郎

1862-1949 明治-昭和時代の実業家。文久2年生まれ。京都師範在学中の明治10年フランスに留学し,染色を学ぶ。23年生地京都に稲畑染料店(現稲畑産業)を開業。後に大阪に進出して,軍服用カーキ色染めを創案する。大正5年日本染料製造の創立に加わり,15年社長。活動写真を輸入し,明治30年大阪で初公開した。大阪商業会議所会頭。貴族院議員。

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熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある「佐川官兵衛討死之地碑」~政府軍警視隊、鬼官兵衛殉職の地~今回の九州・熊本大地震による被害のご報告です。現地より、画像をご紹介頂きました。
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戊辰戦争で賊軍の汚名を喫した会津藩出身の佐川官兵衛が、西南の役で戦死した地。戊辰戦争では、会津藩は、薩摩、長州、土佐藩が連合した官軍に敗れ、賊軍となる。その後、謹慎生活を送ったあと警視庁へ入隊。そして、西南の役に参戦しました。しかし、この南阿蘇村で薩軍の被弾を受け殉職しました。
http://tokyosuicatree.web.fc2.com/minamiasomura.html#sagawakanbeitoushinochi
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土台から崩れ地碑手前に二つに折れた碑が転がっています。

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5月4日(水)に大阪史跡巡りをしてきました。大阪証券取引所で集合。それから、正面玄関前にある五代像の見学、中之島の屋敷跡地、朝陽館跡、加島屋本家、靭公園の科学技術センター(五代邸跡)、堺筋本町の商工会議所横の五代像、安倍野墓地と巡りました。

「あさが来た」で人気沸騰の五代友厚は明治維新、衰退した大阪経済を近代化に導いた「大阪の恩人」です。生涯を大阪の発展に捧げ、49才という若さで夭折。

五代友厚像が一番有名なのはこの像です。像の高さは7.6m。ちなみに、高知の桂浜の龍馬像は像の高さは5.3m大阪の街にとって、五代友厚の存在がどれほど大きかったことかわかりますね。

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