大阪市北区堂島3丁目、NTTテレパークの南側に「五代友厚製藍所」「明治天皇聖躅碑」「大村藩蔵屋敷跡」の3つの碑が並んでいます。
なぜ、五代友厚は製藍所を大村藩蔵屋敷跡に設けたのでしょうか。当時、インドから粗悪な藍を大量に輸入していて、国産藍は大打撃を受け作付面積は激減し、日本から消え去ろうとしていました。そして、五代が立ち上がります。その機械化された工場からの煙、東の空からは五代も尽力した造幣局からの煙、幕末維新で荒廃した大阪に、その煙は希望の狼煙(のろし)となりました。徳川幕府傘下の大名蔵屋敷はこうして明治維新を迎えて破却され、跡地は大阪の発展に貢献しました。
大阪には数多くの五代友厚の功績が残されています。
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