みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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岡山市足守の緒方洪庵誕生地に行って来ました。文化7(1810)年に、洪庵は足守藩士佐伯惟因(さえき これより)の三男として生まれました。この地に、洪庵の兄が居住していましたが、転居し建物は取り払われて井戸だけ残して畑になっていました。大正14(1925)年、碑を建てるという計画が持ち上がり、子孫は賛同して土地を譲り、記念碑の下に洪庵の「へその緒・産毛・元服の遺髪」を埋めました。

洪庵は、天保9(1838)年、29歳の時に大坂で開業し、同時に蘭学塾「適塾」を始めました。幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学医学部及び慶應義塾大学の源流の1つとされています。pppDSCN4266

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