みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 11月 2016

11月6日に、京都非公開文化財公開の見学に行ってきました。総勢22名でスタートです。烏丸御池駅1番出口より東へ、一筋目(車屋町通り)を北へ向かうと「本家尾張屋」があります。1465年(応仁の乱前々年)尾張より上京、菓子屋を営み江戸中期より蕎麦屋になりました。さすが開店前から並んでいます。更に歩くと「雨森啓太郎薬房」があり、その付近の二条通り 江戸幕府公認の薬種街で最盛期80軒を数えましたが、次第に中心は大坂道修町へ移りました。画像は、「京都ハリストス正教会」です。木造現存最古のギリシャ正教会。松室重光の設計)1901年(明治34年)完成、初公開。松室は京都府庁、大阪道修町の武田薬品旧本社、中国大連市役所などを設計しています。

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芦ノ湖の近く「ポーラ美術館」に行ってきました。箱根関所の手前にあります。印象派の名画からガレの名品まで、ルノアールが特出、岡田三郎助「あやめの衣」は、ここにあったのですね!

http://www.polamuseum.or.jp/collection/p08-0077/
岡田三郎助は、6歳で上京し旧佐賀藩主の鍋島直大邸内に身を寄せていたが、そこで同郷の百武兼行の油絵に触れ、洋画に関心をもった。曾山幸彦の塾に入門し研鑚をつんだあと、フランス帰りの黒田清輝と久米桂一郎が指導する天真道場に入門する。1896年(明治29)白馬会の創立に参加するとともに、東京美術学校に新設された西洋画科の助教授に就任し、翌年には西洋画研究の第1回文部省留学生として渡仏、黒田の師ラファエル・コランに学び、帰国後は東京美術学校で多くの後進を育成した。rn 岡田の作風の特徴は、何よりもその優美で典雅な女性像にあるが、それはコランのもとで培われたといってもよいであろう。彼はコランの代表作《花月(フロレアル)》にみられるような、繊細な筆致と上品な色調を徐々に自己の画風として定着させていった。《紫の調(某婦人の肖像)》(1907年)、《萩》(1908年)などに見られる、女性特有のきめ細かくやわらかな肌合いの表現と、洗練された装飾性を見事に結実させたのが、この《あやめの衣》である。池水に見立てた明るい藍地に白く浮き上がるあやめの模様、それと帯状に配された朱紅色が美しく調和する衣が、本作品の主役である。その衣をまとった後ろ姿の女性は、櫨染調(黄金色)の背景のうえに、油絵具で描かれている。日本の伝統的な美意識と手法が油彩画に導入されており、岡田のあくことのない研究の成果をうかがい知ることができる。
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箱根関所に行って来ました。平成19年春からの全面公開です。およそ140年の時を経て、再び、その姿を現しました。年中無休です。役所でありながらサービスが良いですね。

箱根関所は、江戸時代第一の主要道路である東海道を監視するために、設置された重要な関所です。箱根関所の役割(仕事)は、関所構内に掲げられた御制札(高札)に記載されており、旅人が関所を通るには、様ざまな検査が行われました。特に、箱根関所では、江戸から関西方面へ向かう「出女」の場合は、幕府の御留守居役が発行した証文(女通行手形)を必ず所持し、手形に記載された内容と持参した女性の特徴が一致しなければ、関所を通ることはできないという、厳しい取り調べが関所の役人たちによって行われていました。
http://www.hakonesekisyo.jp/

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