みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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東京タワーのすぐそば、、徳川家の菩提寺にも行きました。寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられているそうです。元禄14年(1701年)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、吉良上野介が浅野内匠頭に畳替えの必要性を教えず、これが殿中刃傷の引き金になったという忠臣蔵で有名ですね。徳川幕府の崩壊壊、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となりました。太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けています。徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。

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