みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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「竜馬がゆく」を久しぶりに読み返しています。

2010年、大河ドラマは龍馬と決まりました。長い道のりでした。その10年前に「竜馬がゆく」のリメイクをして欲しいと、全国で懸命に署名活動を行いました。その中には、若くして亡くなった友の署名も含まれています。恋人と桂浜の龍馬像を見に行きたい、願いも虚しく没しますが、龍馬は来てくれました!

江戸期の男にとって長男に生まれるか否かでは、決定的な違いがあった。長男は親と同じ程度の行き場所は与えられたが、次男以下は余程のことがない限り世に出て行くことは難しい。龍馬が他の志士たちと比べて著しく経済観念が発達していたのも、龍馬が次男だったことが一つの要因ではないか。 龍馬は、倒幕後、どういう世の中にしたいのか、という具体的なイメージがあった。西郷・大久保・木戸らは、倒幕のみ目が行き、具体的なイメージは持っていなかった。彼らと龍馬が明らかに違う面を考えた時、ある一つの事実が浮かび上がる。彼らが長男だったことに対して、龍馬は次男だったのである。 次男は身を立てるすべてを自分で身に付けなくてはならない。その気概があったからこそ、龍馬は浪人の身でありながら、商社や艦隊までも造る事ができたのではないだろうか。(龍馬の金策日記―維新の資金をいかにつくったか  竹下倫一  祥伝社新書より)

情報が整理されていない昭和三十年代、幕末の時代背景を掴み取り超一流の時代小説の傑作「竜馬がゆく」を執筆した司馬遼太郎の偉大さが分かります。

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