みちこの幕末日記

   世に生を得るは事を成すにあり。

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Monthly Archives: 1月 2021

幕末の志士が出した緊迫の手紙

なんと、こんな手紙が地元の倉敷市にあったなんてビックリです。

桂小五郎が大坂にいた長州藩士に宛てた手紙。署名を圭としている (倉敷市真備 町の市真備支所で) 幕末の志士・桂小五郎(木戸孝允、1833~77年)が大坂(現在の大阪) にいた同じ長州藩士に宛てた自筆とみられる手紙が、岡山県倉敷市の旧家が保管 していた資料の中から見つかった。新撰組の隊士が尊皇派の志士を襲撃した池田屋事件(1864年)の直後に京都から送ったとみられ、市歴史資料整備室は「桂が危険が迫っている緊迫した状態の中で出したのではないか」としている。

手紙は和紙に墨で書かれ、倉敷市内の旧家・林家が2004年に市へ寄贈した資料の中にあるのを、市職員が昨年確認。桂が、長州藩の外交官にあたる大坂藩邸留守居役、北条瀬兵衛(後の倉敷県知事)に送っていた。「別紙」(別の手紙)を長州藩士の寺嶋忠三郎に渡すよう依頼する内容で、自身の近況については「明日(長州藩士の)時山(直八)が(京都から大坂に)下る予定なので聞いてほしい」としている。記載した年月日は十七としか書かれていないが、桂が1864年(元治元年)6月17日の日付で、寺嶋宛てに書いた別の手紙と内容が整合することから、北条に宛てた手紙の「別紙」がこれにあたり、池田屋事件のあった6月5日のすぐ後の17日に書かれたとみられる。

寺嶋に宛てた手紙には、「早速上京するとの様子だが、この頃はご承知の通り伏見辺りも一層監視の目が厳しいので、道を変えて通行すべきである」などと幕末争乱の当時の様子が書かれている。また、署名は桂ではなく圭としており、同室は「敵の手に渡っても身元がわからないように、わざと本名を使っていないのではないか」と分析する。

 

ザ・戊辰研マガジン2021年1号Vol.39を発刊 

 新しい年を迎えましたが、新型コロナウイルスの感染者数が毎日最大値を更新し、東京では二度目の緊急事態宣言が発令されようとしています。更に懸念されるのが感染力が強い変異種コロナの出現で、恐怖にさらされる日々が続きます。ワクチン開発が世界で急がれていますが、変異するスピードが速いウイルスにどれだけ追いつけるかが問題です。
私の住むいわき市では本日11名の感染者が出ています。特定の場所ならまだしも、市内のいたるところで発生しているのは脅威です。コロナはすぐそばまで来ているというのが実感です。十分に気を付けなければなりません。

本日、ザ・戊辰研マガジン2021年1月号 Vol.39を発刊しました。
どうぞご覧ください。

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今年もよろしくお願い致します。

倉敷美観地区は、コロナのためにお正月も観光客は少なく残念です。

神社にお参りに行った帰りに、旅館くらしきへ。

ここは、司馬遼太郎の定宿でした。

司馬さんの面影を追いながら、画像を一枚!!